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くらしの周辺−「ゲイジュツの秋」

 岡本太郎の「芸術は爆発だ」なんて、一見芸術家的で理解不能な言葉に思えるけれど、僕は実家の箪笥からたまたま見つけた自分の幼少期の絵を見てこの言葉を思い出し、一人ふむふむうなずいてしまったのである。

 子どもの描く絵は技術的には稚拙であっても、ある種芸術的な力を感じてしまうことがある。

 だけれど、これはキット子どもが描く絵は、偽りなく自らの100%の力を振り絞って描いたものであり、また絵を描く、という行為が、自らの生命の表現であるから、そんな力を感じさせるのも当然であるような気がする。

 それがいつの頃からか絵を描くことは「宿題」となって、描くことが必然的な、内側からの衝動から生まれた手段ではなくなって、さらには成長とともに自分を客観視できるようになると、臆病な自尊心が芽生えるようになって、他人にどう見られるかが主題の、極めて他律的な絵になってしまうことがままあるのである。

 かかる絵は、うまくまとまっていても、どうもこう、こじんまりとして生命の力を感じさせない陳腐な絵になりはててしまうのである。

 何より描いていて楽しくないのである。そんな絵は、見ていても楽しくない。

 箪笥から、ついでに幼少の頃の写真が出てきた。

 照れるくらいに屈託のない、まさしく芸術的な笑顔。こんな笑顔、今の僕に出来るかしらと一人鏡の前で笑ってみた。

 けへら、へら。どうしようもなくうさんくさいハリボテの笑顔が鏡に映ったのである。(文時弘、団体職員)

[朝鮮新報 2003.10.6]