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「朝鮮文化を訪ねる旅」第20回記念甲州路の旅に48人が参加−「朝・日の友好関係築く礎に」

 20回目を迎えた「日本の中の朝鮮文化を訪ねる旅」。今回は特別企画として、甲州路(主催=「甲州路の朝鮮文化を訪ねる旅」実行委員会)の旅が5日に催され48人の日本市民と同胞らが参加した。「古代朝鮮文化を訪ねながら日朝交流の歴史を振りかえり、現在の日本と朝鮮の関係を見つめなおそう」と、1989年から始まった「旅」。これまで延べ790人が参加した。今回も、歴史学者で文芸評論家の朴春日さんが講師を務め、朝鮮から「ぶどう」の栽培法を伝えた行基菩薩(百済系)の伝承を中心に、「橋」「ぶどう」「馬」をキーワードとしてそれにまつわる古代朝鮮文化の足跡をたどった。

「橋」「ぶどう」「馬」がキーワード

 午前9時に新宿西口をバスで出発した一行。歴史に興味のある人、と共に甲州ワインも味わいたいという人など、その思いはさまざま。参加者らの中には、都内だけでなく千葉や茨城県から朝4時に起きて参加した人もいた。

朴春日さんの講義に熱心に耳を傾ける参加者たち

 まず、最初に向かった先は大月市にある「猿橋」。日本三奇橋の一つで、伝承によると飛鳥時代の612年、百済の工人芝耆麿(しきまろ)が木々の枝づたいに桂川を渡る猿の群れにヒントを得、はねぎを使って橋脚のない木造の反り橋をかけることに成功したという。

 つづいて、今回のメイン、山梨県勝沼町にある大善寺と「ぶどうの丘」へ。同県のぶどう生産量は年間5万9200トンで全国の26%を占め1位。バスの外に広がる一円のぶどう園に一行は驚きを隠せないようすだった。

 大善寺には、行基作の薬師如来像が安置されている。寺伝によると、奈良時代の718年、日川(にっかわ)のあたりで修行中の行基の前にぶどうを手にした薬師如来が現れた。そこで行基はその像を刻んで大善寺に安置。あわせて、法薬とされていたぶどうの栽培法を当地の人に伝えたという。

 次に奈良時代の745年、行基が大木で観音菩薩像を刻み、庵を建てて安置したという雲峰寺(塩山市上荻原)。「この地に古代朝鮮からの移住民が馬の文化を運んだ。騎馬軍団で有名な戦国の雄・武田信玄は、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光の子孫」と朴春日さん。ここには武田信玄が戦陣で使ったとされる「馬標旗」や数々の重宝が収められていた。

 平安時代中期の1058年、新羅三郎義光が九州の宇佐八幡を当地へ歓請したという窪八幡神社も訪れた。

「つながりの深さ、後世に」

 岩井進一さん(社団法人国際労働運動研究協会会長、52)は今回、初めての参加だという。「日本文化は、朝鮮とのゆかりがとても深いということを改めて知った。歴史というものは後世にしっかりと教えていくことが重要だと感じた」と語った。

 女優の斎藤由貴さんがレポート、01年12月に「BS朝日スペシャル」で放映された朝鮮シルクロードの旅のドキュメンタリー番組を制作した佐藤静夫さん(潟買@ネックス代表取締役)も今回が初めての参加だ。

 「朝鮮との文化交流が日本にあったということを伝えることがどれだけ重要なのかを改めて感じた。そうすることによって、今の日朝関係を考えるヒントになればいい」と次の番組制作に意欲を燃やしていた。

 2度目の参加の佐々木謙治さん(練馬区在住、建設業)は、「日本文化の発展の基礎が朝鮮にあると思うととても感慨深い。朝鮮と日本は『海でつながっている』ということを肌で感じた」と満足げだった。

 「20回中4、5回しか欠席したことがない」と話すのは、都内でスナックを経営する内田宮子さん。

 「いつもお店の常連さんをこの旅に呼んでいるけど今回は正直、朝・日の関係が悪化して難しいこともあった。結果的にたくさんの方が参加してくれたのでよかった。古代朝鮮が日本にもたらした文化を知ることによって、今の情勢も良くなればいいですね」とほほえんだ。

 朴春日さんは、「この旅で講演するたびに、参加者らの歴史に対する熱意に感心させられる。このツアーが新たな朝・日の友好関係を築く礎となればいい」と語った。

 日朝友好資料センター事務局長の唐笠文男さんは、「これから日朝は子々孫々として仲良くしていかなければならない。近い将来、実行委員会では南北朝鮮の文化を直接訪ねていこうと計画中だ。必ず実現させたい」と語っていた。(金明c記者)

[朝鮮新報 2003.10.9]