東京で桑原史成写真展「臨津江〜垣間見た北朝鮮〜」開催 |
東京都中央区の銀座ニコンサロンで9月29日〜10月11日、桑原史成写真展「臨津江〜垣間見た北朝鮮〜」が開催された。 展示された作品は、軍事境界線を南北双方から写したものや、北の人々の生活、南の民主化闘争、日本人妻と妹たちの再会など46点。入口に掲げられたマスゲームの1枚を除き、モノクロ写真ばかりが並べられた。 「朝鮮半島と関わって40年近くになる」写真家の桑原さんは、今回の展示では「北側から撮ったものだけではどうしても弱い」という思いから、「南で撮ったもの」も展示した。「分断の厳しい状況を示したかったから」である。 1964年の夏以降、南には約50回ほど、北には7回行き、取材をした。「1945年、朝鮮は日本の敗戦によりその呪縛(植民地)から解き放たれた。しかし、東西冷戦で国土は分断され、次いで戦争を経て、南北はマイナスからの再出発になった。日本の敗戦処理のまずさと東西冷戦の出現に朝鮮半島の人は翻弄されている」。 板門店の共同警備区域で南北双方から撮影した写真を眺めながら「同じ兵士でも、どちら側から撮影するかによって表情がまるで違う。南側からカメラを向けると北の兵士は射るような厳しい視線を向ける。ところが北側から撮影すると、柔和な顔に表情が一変する」と話す。 写真には板門店会談場のテーブル中央を2分する軍事境界線を収めたものもある。その「線」は、東西の方向に延び、朝鮮半島を分断している。今、世界の冷戦は崩壊しているものの、朝鮮半島においては依然としてその状態が続いている。写真はそれを雄弁に物語っていた。 60〜80年代、軍事政権下に置かれた南では、民主化を求める学生や市民たちの運動が絶えなかった。「多くの市民たちの血と汗と涙の犠牲によって韓国の民主化は築かれた」。一方、北では、45年の解放までの革命運動に身を投じた、労働者階級らが中心となり国家を建設。95年夏から再度にわたる洪水、干ばつで4年連続不作が続いた。 桑原さんは「今、拉致事件をはじめ工作船の事件、また核をめぐる問題などで北朝鮮への日本国民の目は誠に厳しい。日本の敗戦から58年が過ぎた現在まで、隣国の北朝鮮との国交の修復がなされていない状況は不自然としか言いようがない」と指摘する。そして、「歴史の1部分だけを断片的に切り取って問題視するのではなく、その背景についてもよく考える必要がある」と強調する。 朝鮮の統一を強く願う写真家、桑原さんは「イムジンガン 垣間見た北朝鮮」(草の根出版会=TEL 03・3943・9393)も出版した。(金潤順記者) [朝鮮新報 2003.10.15] |