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高麗人参余話(17)−シンマニの大活躍

 日本における人蔘栽培は外来種である人蔘を日本に移し植えて農業化する過程であったがそれは人蔘の生態を知りえないまま、まったくの手探りで行われたものであった。

 本家である朝鮮では5000年前から山で山蔘が採れ、高句麗の時代には人蔘の優れた薬効が広く知れ渡っていたので貴族はもちろん庶民に到るまで人蔘を霊薬、仙薬として大事に扱ってきた。

 山で人蔘を偶然見つけたり、焼き畑農業を営んだ火田民達が人蔘堀りのシンマニになって山蔘は採られてきた。人蔘の生態について一番よく知っていたのはこのシンマニたちであった。

 神秘の山蔘は霊草なので山の神の啓示が無くては掘る事ができないとされ、シンマニたちは夢で吉凶を占うなど夢見を大事にしてきた。シンマニたちは4月から11月までの約7ヵ月間1、3、5、7、9の陽の日を選び山に入ったが、入山の日が決まるとその日から謹慎生活に入り、まずは殺生をせず死体を見ない、つぎに肉や魚を遠ざける、冠婚葬祭は避ける、女性と関係をもたないなどの禁忌事項を堅く守った。シンマニたちは山神霊のご加護なしに山蔘を取れないと固く信じていたので、入山したその日から石で段をつくり朝に夕に山神に祈りを捧げた。

 人蔘とは本来山蔘を意味した。山蔘の実を鳥や動物が食べて糞と一緒に出て自然に自生した山蔘を天種というが、現在ではほぼ絶滅したと思われる。山蔘は夏や冬にも風通しのよく東北に傾斜面がある場所がよい。また、半陽半陰の土地で乾燥しすぎても湿気があり過ぎてもだめで適当に乾燥し適当に湿っている所がよく、針葉樹と活葉樹が2対3で配列している所が好ましい。南東でもその下に川が流れ涼しい風の通るところ、針葉樹林でもその下に川があれば山蔘は育つという。シンマニたちは長年の経験でこのように山蔘が育つ条件を見出していった。(洪南基、神奈川大学理学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2003.10.16]