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10万人マスゲーム「アリラン祭」をDVDで

 朝鮮民主主義人民共和国の平壌で昨年行われた10万人マスゲーム「アリラン祭」を収録したDVDが、今、日本で発売されている。これを企画したのは映画プロデューサーで日本カナリオ企画代表取締役の小林正夫氏(67)。

 「千変万化の公演場面と変幻極まりないバックスタンドの妙。そして、超ワイドのスクリーンとレーザー照明が芸術的な調和をなした華麗なスペクタクル。サーカスなどあらゆる芸能を取り込んだ世界最大規模の祝祭は必見の価値がある。日本では色メガネで見られがちの平壌だが、別の角度からもう一度見るといかに魅力的な都であるか分かると思う」と小林さんは語る。

 これまで12回訪朝し、約150日間も滞在した小林さんは、映画仲間を中心に多くの知己を持つ。

 小林さんは95年に朝鮮との合作映画「高麗女人拳士」の製作のため初訪朝。テコンドーの達人ソミを主人公にしたこの映画は平壌郊外に約100ヘクタールの広大な敷地を持つ朝鮮芸術映画撮影所を中心に各地をロケ、延べ2万人のエキストラを動員した。完成した98年の正月に朝鮮全域で上映され、大好評となった。

 「映画製作の過程で朝鮮の映画人と深い親交を結ぶことができた。後に聞いたが、この間まさに『苦難の行軍』が続き、ひっ迫した経済とみぞうの大洪水、食糧難と電力不足…。苦難の中、市民は食を分かち合い、暖房の止まった氷点下40度の厳寒に、家族は抱き合って耐えて、励ましあった」

 当時、小林さんは停電に困惑したことを覚えているが、ホテルと撮影所の行き来の中で、一般市民の苦難は知る由もなかった。

 3年前、小林さんは平壌国際映画祭に山田洋次監督と一緒に訪朝し、映画関係者と懇談したことがあった。

 「朝鮮戦争の時のことが話題に上ったことがあったが、彼らから『米軍の爆撃で焼け野原になったその時よりも、今度の方がもっとつらかった』と聞いた」と話す小林さんの目の奥に涙が溢れた。

 「合作映画の完成を支えてくれたのは、彼らの忍耐と友情であったと改めて胸を締めつけられた」

 朝鮮の映画人はヨーロッパナイズされていて、スマートだと小林さん。映画が完成した時には「あなた一人の力でできた訳ではない、『奥さんのお陰です』と言って、妻と一緒に平壌に招待してくれた」と破顔一笑する。暮らしが困難でも、子供たちは笑顔一杯であいさつしてくれるし、青年たちはひたすら読書するなど勉強熱が高い。とくに大きな行事には老若男女はこぞって街に出て踊る。民族舞踊だけでなく、ワルツ、ジルバも上手。映画も音楽もサーカスも大好きで、暮らしの一部に溶け込んでいる。

 そんな平壌を日本のメディアが嘘と偏見で描くのは我慢できないと話す小林さん。「困難に立ち向かう平壌市民の不屈の精神力は文化を愛する心に支えられていると思う。平壌で寅さんを上映した時も、寅さんに同情し泣き、笑っていた。組織社会からはみだし者の寅さんを愛する心を彼らは持っているのだ。この時、僕は『文化の交流こそ、最大の安全保障である』という言葉をしみじみと実感した」

 小林さんは今の日本のメディア状況を何とか変えたい、と強く願っている。

 「自国の文化を誇り、他国の映画を楽しむ人々…。主体的に世界とかかわりを持とうとする朝鮮の文化の側面を見る時、『悪の枢軸』という言葉はあまりにも陳腐で、似合わない」。小林さんはこう力を込めて語った。(粉)

[朝鮮新報 2003.10.20]