朝鮮の食を科学する〈20〉−山でうまいものはトドック |
日本に住む朝鮮人の中で、とりわけ1世が、故郷をなつかしみながら好んで食べる山菜にトドック(希幾=ツルニンジン)がある。 日本人の食生活とはかかわり合いがないので、2世、3世になれば、その名前も知らない人が多い。しかし、これもトラジと同様、朝鮮の山野に多く分布し、古くから食用とされて来たし、日本にも多く自生しているので、自然から求めるという点では、トラジよりはるかにたやすい。 桔梗科、美味 トドックは山のふもとの土地や、比較的肥えた土地の日陰のところによく見かけられる。トラジと同じ桔梗科に属し、ツル状になって広がってゆく、多年生の植物である。葉は卵形に近く、4枚ついている。8〜9月頃に、濃い紫色から藍色の花をつける。朝鮮の全土に分布するが、中部以北にとくに多く、中国の東北地方にも多い。 自生植物であるので、トラジと同じく当然古くから食されたものと推測される。トラジは文献には出て来ないが、このツルニンジンは文献から、高麗時代に愛用されていたことが分かる。朝鮮王朝時代に編さんされた「海東繹史」26巻菜類のところに、「高麗沙滲館中日供食菜有 之形大而脆美非薬中所宜用」と記されており、高麗時代に大いに賞味されたことが、ちゃんと記録されている。しかし、このことは決して、高麗時代に初めて食されたことを意味するものではなく、すでにそれ以前から利用されていたことを裏づけるものであるといえる。 根の部分の成分には、タンパク質と脂質が少しあり、ビタミンのAとB類が少し多いのが目立つが、やはり、このトドックの特徴もトラジと同じくサポニン類を含んでいることである。香気の成分も食欲をそそる独特なものがある。この香気に敏感な人達は、これを採りに行くと、このニオイを頼りにツルニンジンの群生しているところを見つけ出すといわれている。 健胃、整腸の効能 根は堅く黒い色をしているが、この皮をはいで乾燥したものは、「人参」に対して「沙滲」といって、解毒剤、去痰剤に利用されるくらいである。高価な人参を求めることのできない人に、安い「白参」だといっては売りつける、インチキ人参として代用の役割を果たした代物である。 また健胃、整腸にもよいといわれ、強壮食品としてもよく利用される。内臓性の疾患、特に肺臓、脾臓、腎臓を強くすると、昔から民間では言い伝えられて来た。また、水を飲んだ時に「水当たり」という症状になることがあるが、その時にこれを食べるとよいとされているし、この乾燥品の粉末は、皮膚のただれ、かゆみを止める。 山野で採った生の根を焼酎につけて造るツルニンジン酒は、人参酒と違った味わいと香りをみせてくれるが、強壮、去痰、整腸によいといわれている。生の皮をはぎ根を開いてよくたたき、味つけして焼く「トドックイ」は薬膳料理そのものだ。 しかし、このトドックもトラジと同様に、朝鮮民族の食生活の需要をまかない切れなくなって、今では、人工的に栽培されている。10月から11月頃に実った種子を、冬を越さして翌春に播種し、4年目の秋に根を掘って食用とする。薬用とする場合は、2月か、8月に掘ったものを利用するのがよいとされている。 信州のトドキ トラジと同じ桔梗科に属する植物で、しかもよく似た草根でありながら、一方でトラジが朝鮮でも日本でも食されるのに対し、食味からいえばむしろはるかに美味なこのトドックを食べる風習がなぜか日本にはない。 ただ信州地方に行くとトドキと呼ぶ食べ物がある。語呂から考えるとトドックの訛ったものと考えても決しておかしくない。最初このことに筆者が気づいた時には、朝鮮語のトドックをそのまま発音したものではないかとすら思った。なぜならこの食べ物がトドックと非常によく似ているからである。 トドックと同じ桔梗科に属し、根は朝鮮人参に似た形をしていて、花は釣鐘に似ている。秋になれば淡紫色の釣鐘状のきれいな花を咲かせる。この植物を学問的にはツリガネニンジンと呼んでいるが、一般にはトドキといわれ、アマナ、または桔梗モドキとも呼ばれる。 信州の土地の人達は、この若芽や根を大切な食べ物として珍重している。「山でうまいものはオケラにトドキ、嫁にくれるもおしゅうござる」と、里謡に唄われるくらいである。 朝鮮語ではツリガネニンジンのことをジャンデ(接企)と呼んで、トドックと同じく、若芽と根を食用、薬用にする。ジャンデすなわちツリガネニンジンの根を乾燥させたものを、朝鮮ではジャンデ沙滲(接企紫誌)と呼んで、トドックの根を乾燥したものと同じものとして扱っている。つまり、乾燥すれば、ツルニンジンもツリガネニンジンも区別がむずかしく、同じものになってしまうのである。 筆者はここである一つのことに気づいた。それは、ツリガネニンジンと呼ばれる植物が朝鮮語のトドックに似ていることから、古い昔にこの草根類の食習慣が朝鮮から伝えられるうちに、ツルニンジン、ツリガネニンジンにすり変わってしまい、朝鮮では、ツルニンジンのことをトドックと呼び、日本ではツリガネニンジンをトドキと思い込んだのではないかと… しかし、誤って名前が伝えられたとしたところで、食べて美味であり、毒がなければ今更何も問うことはない。ただ、このトドックという植物の食習慣は、朝鮮民族との交流の中から日本に伝えられたのであろうということを、筆者は強調したいだけである。 この食風習の盛んなのが、朝鮮と気候的条件の似ている信州地方であることにも興味がある。 ともあれ、このように誤って伝えられた俗称が固定したのちに、植物の形、特徴から改めて命名されたものだから、ひとつの呼称に、2つの植物が該当するという結果が生じたのである。 日本に、ツルニンジンであるトドックを食べる食風習がなく、ツリガネニンジンを好んで食べる風習が盛んであることを、このように考えれば、納得がいくように思える。(鄭大聲、滋賀県立大学教授) [朝鮮新報 2003.10.24] |