〈第19回錦山塾作品展〉 書がとりもつ素敵な出会い |
去る9月18日、清々しい秋晴れの下、第19回錦山塾作品展が開催された。 私が関わるのは今回で2回目となるが、毎年子供たちの作品には驚かされる。小学校低学年の作品は、思わず立ちつくしてしまう程の衝撃を感じてしまう。 初めて筆を持ってから、まだそれほど月日の経たぬうちに取り組んだこれらの作品からは、まったく作為のない心、書を志す者すべてが追い求める無為自然そのものが無防備に露呈している。欲を言うなら、あえて大きな紙面にはどう表現されてくるのか見てみたいものである。この子たちの中から、将来わずかでも書家を目指そうとする子がいるかもしれない。この時期ゆえに素直に自分を表現できた一人一人の個性の結晶を、どうか大切に保管してほしいと願う限りだ。いつの日にか、自分が生まれて初めて作った作品に向き合えた時の感動を想うと私までも心躍る気分だ。 小学校高学年から大学生に至るにつれ、やはり自我が形成されていくようである。人との関わりを学び始め、それによって身についた自信や戸惑いなども垣間見られ、愛しいと思うと同時に、その一瞬に興る緊張感が感じられ心地よい。 総じて言うなら、若さとはやはりエネルギーの塊であり、それをのびのびと表現している作品は、作品としてのまとまりという観点からみる以上に尊い価値を感じる。 成人部は、様々な形式のものが出品されていて創作活動の面白さを体験されたことが想像された。細かな工夫をこらしたもの、その瞬間の勢いにまかせたもの、装飾にセンスが光るもの、各々が楽しみながらも真剣に取り組んだ作品たちであった。 特別出品には、国籍を問わず、またあらゆる流派の先生たちが集い、それらの作品のそれぞれの風格、雰囲気を純粋に楽しんだ。私はこういった自由な支流の場が大好きだ。 整体師黄先生の奏でる二胡弓の悠久の音色に包まれ、ゆったりとして心が喜ぶ空間であった。 最後に、この作品展の準備に携わった人々は、在日朝鮮人、日本人、在日中国人、ひいては中国からの留学生まで、皆やはり漢字、書を共通文化とする友人たちで構成されていた。 書がもたらしてくれた素敵な人たちとの縁がこの華やかな作品展の成功を支えた力の源であったに違いない。(大西智子、東京在住、書家) [朝鮮新報 2003.10.27] |