東京でトークと公演「アリランを訊ねて」開催 |
祖国統一に向けた各種南北共同イベントで「アリラン」は、もはやテーマソングとして定着しつつあるようだ。10月26日、東京都品川区のきゅりあん小ホールでトークと公演「アリランを訊ねて」(主催=同実行委員会)が開催された。 出演したのは品川区在住の在日朝鮮人作曲家で「アリラン研究家」の金学権さん。金さんは昨年6月、歴史的な南北首脳会談実現から2年を迎え、アリランのルーツなどについて講演を行い、日本の作曲家10人と南朝鮮の作曲家と共に「アリラン」をテーマにした変奏曲を作り、ピアノコンサートを行った。 今回の講演では、前回にちなんでアリランの語源、ルーツなどについても触れながら、それがいかにして朝鮮全土に普及し、現在、半世紀に渡って分断されている民族をひとつに結ぶ「統一の歌」として歌われるようになったのかといった、アリランの「現代史」について語った。 民族衣装のパジ・チョゴリ姿で舞台に立った金さんは、客席に向かい「上衣のチョゴリは平壌で作り、下のパジはソウルで作った。靴は日本製だけど」と話し、会場は拍手と笑い声で沸いた。
講演では、南北朝鮮で最もポピュラーな「アリラン伝説」(ソンブとリランの悲恋物語)について語り、1400年頃、太白山脈の山中で歌われたのが語源ではないかと考えられるなどと話した。そして、朝鮮全土には約190曲、2200余の歌詞があると言われるが、その中で最もポピュラーに歌われているものは、1926年に上映された羅雲奎監督の映画「アリラン」のラストシーンに流れる曲であると語った。「おりしも日本による朝鮮総督府の落成式が行われた日に封切りされたこの映画は、亡国の民の反日意識、独立を取り戻そうという民族の気概を示すものであったため爆発的にヒットした。アリランが流れるラストシーンに民衆は泣き、歌はフィルムと一緒に全国を回り2〜3年の間に全国に普及した。その後朝鮮総督府により、映画の普及は禁止されるが、アリランのメロディーはわが民族の心の奥深くに刻まれた」。 アリランはその後、1953年の朝鮮戦争停戦協定調印式場でも、捕虜交換時にも流された。「1991年、千葉県幕張で開かれた第41回世界卓球選手権大会でも、シドニーオリンピックの合同入場でも、大邱ユニバーシアードや、済州道民族統一平和体育文化祭典でも響き渡った」。金さんは、「98年、ユネスコでは無形文化財の援助機構の名称を『アリラン省』としようという動きもあった」とエピソードたっぷりに話した。 次いで行われた公演では、ピアニストの朴令鈴さんが金学権作曲「アリラン―我が心情的変奏曲」を演奏、東京朝鮮歌舞団による「朝鮮八道アリラン紀行」も披露された。また、フィナーレでは金さん作詞、作曲「異国のアリラン」を参加者全員が合唱した。 東京都北区在住の安美玲さん(22、教員)は「アリランにこんなに深い意味と歴史が込められていたとは。今後、教育現場で生徒たちにしっかり伝えていきたい」と話していた。会場には約120人が訪れた。(潤) [朝鮮新報 2003.11.5] |