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〈女性・仕事・作品〉 童話作家・高貞子さん

南でも出版された「ハラボジのタンベトン2」の祝賀会

 変わりゆくものと、変わらぬもの―。めまぐるしい世の中にあって、流されず、生きることの難しさは並大抵ではない。

 大阪市生野区で焼肉亭 「高橋」を営む女将。その傍ら故郷済州島の民話に材を取った民話「ハラボジのタンベトン」シリーズを日本語とハングルで発表し続けている。

 「人の喜びや悲しみ、夢は、太古の昔からそう変わっていないはず。在日1世のハルモニたちから、昔話や伝説、神話を聞くたびに、先達の想像力の豊かさ、深い知恵、人を慈しむ心に触れることができました」

 高貞子さんは、両親が日本敗戦直前の空襲で、東住吉区桑津町百済に住むハンマニ(外祖母)の家に引越したため、47年、そこで生まれた。

 「物心ついた時から、そこは、古い済州島の暮らしが息づいていた。タイムマシンで引き戻されたようなたたずまい。不思議な空間で、とても居心地がよかった」

 ハンマニが作るドブロク(密造酒)の匂い。祭りの日には紙で作った帽子に花をつけ、陽気に家々を踊り歩くハンマニとその友人たち。夜、寝床でハンマニの乳房をさわりながら聞く、済州島の昔話の数々。

 苦労を重ねながらも、生き生きと暮らす女性たちのバイタリティー。幼い高さんに生の原点、そして、ふるさとを抱かせた幸せな出会いとなった。

 生涯、故郷信州に思いを寄せ、名作「夜明け前」を著した日本の作家、島崎藤村は「血につながる ふるさと、心につながる ふるさと、言葉につながる ふるさと」という言葉を残した。作品の芯には、激しい望郷の念があったのだ。 2世の高さんにとっては、故郷済州島に寄せる思いはさまざまな挫折と屈折の果てにたどりついたものだった。

 「5歳の時にコリアタウン鶴橋の両親の家に戻った。行き交うウリマル。路地裏に漂う焼肉やにんにくの匂い。朝鮮人が肩寄せあって暮らす朝鮮文化のタイムカプセルのような街でした」

 そこから日本の小学校に上がった高さんを待ち受けていたものは、厳しい民族差別という現実だった。

 「運動会の日だった。大好きなハンマニが白いチマ・チョゴリをまとって応援に来てくれた」

 その日から高さんの学校生活は暗転していく。前日までは、学校の行き帰りに手をつないで通っていた男の子の態度が豹変した。「朝鮮学校、ボロ学校、豚がブーブー泣いている」とはやしたて、2度と仲良くなることはなかった。小学校1年生の秋。幼子の心にいやしがたい屈辱を刻んだできごとであった。

 ただ無邪気にハンマニに甘えていた日々は去り、なぜ、「自分は朝鮮人なのか」と自問する屈折した少女時代。その後、キリスト教系の高校、大学に入り、演劇や学生運動、留学同の仲間たちと出会った。心に吹き荒れたすきま風はいつの間にか止み、朝鮮人である自分と向き合う強さも生まれた。自分探しの旅へと旅立ちの準備は整ったのである。

 卒業後の就職、結婚、子育てという矢のように流れる慌ただしい時間。

 「店もあるので、寝る時間だけが子供との濃密なふれあいの場だった。その時に作ったのが『チョリの冒険』という創作童話。その話を枕元で聞かせながら、自然な形で民族性が心に染み入るようになればと思いました」

 昔、ハンマニと過ごした宝石のように貴重な時間を今度はわが子にプレゼントする幸せ。その話の根っこにあるのは、故郷済州島の民話であった。「生野は民話発掘のうってつけの場所。朝鮮文化の濃縮されたエッセンスが詰まっている」と話す。

 「朝鮮民話だからといって、一民族に限った話ではない。そこには世界共通の人間の営みがあり、喜怒哀楽がある。そして、生をまっとうすることのすばらしさや共感は国境や民族を越えて広がるでしょう」

 高さんが次作のテーマにしたいと話すのは済州島の「門前神」。済州島の古い民話から生まれた物語は、今を生きる子供たちのすばらしい翼となり、生きる知恵と強靭な精神力を与えてくれるはず、だと高さんは思っている。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2003.11.7]