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〈石原妄言と関連して〉 怖いこわーい話

 そう遠くない昔から、時々隣村を襲う「村」があったそうな。少しは反対する村人の意見には「そうしないとわが村が危うい、わが村のしきたりを守ってもらうだけだ」と指導者らは言いくるめ、そして隣村の何人かを誘惑したり、脅迫したりして買収し、協力させて、その意見が隣村の「総意だ」と宣伝した。「村人」はこぞって協力して、隣村の村長をやめさせ、自分らの首長に反対の奥さんを殺したりして見せしめにした。隣村の人々が「あんまりだ」と反対すると投獄したり、時には殺すこともあった。

 やがて、一つの村だけでなく、周辺の村々にも同じような理屈をつけて自「村」に編入し、また自「村」のしきたりをおしつけ、言うとおりにしないとやはり捕らえたり、殺したりした。

 あちこちの村に多くの「村人」を送り込んだので自「村」の働き手が不足を来すと、近い村の人々を、男でも女でも拉致して、それはそれはつらい仕事をさせた。

 「村」の指導者らは、川向こうの大きな村まで手に入れようと大変乱暴な振る舞いをするようにまでなったので、各村々では、時には単独で、時には協力し合って大変な努力のすえ、自村にいる「襲う村」の人々をもとの「村」に追い返した。そして、「二度と他の村を襲いません」と謝罪させた。「村」ではそれを掟として決めたので、周辺の村々にも何とか平和が訪れ、それぞれ自前のしきたりに従った「村づくり」が、いろいろと紆余曲折を経ながらも、続くようになった。

 やがて「襲う村」も、平和な状況の中で、非常に熱心に働いたので、経済的に豊かになり、周辺の村々への発言力も高くなっていった。そのせいか「村」の一部指導者のうち、「昔はよかった。昔の指導者は偉かった。あの頃のわが村のしきたりは何もまちがってなかった」といい、また「他の村を襲いませんという掟は、無理矢理押しつけられたもの、もう変えなければならない」と主張し始めたそうな。

 おそろしや、おそろしや。(朴鐘鳴、歴史学者)

[朝鮮新報 2003.11.7]