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くらしの周辺−旅の効用

 あれやこれやなんやかんやと日常はやかましく、さまざまなしがらみでがんじがらめ、たまに旅にでも出ないと気が狂ってしまうのではないかと人は逃げるように旅に出る。

 で、その旅先で感じる奇妙な開放感は一体なんなのだろうか? なんて七面倒くさいことを旅先で考えることはない。ここはいつもの4畳半、脳だけセンチメンタルジャーニーして考えた。

 いつだって逃げることには甘美な誘惑があるものだけれど、逃げる人だけが旅先で開放感を感じるわけでもない。で、小首を傾げて考えるに、それは「何者でもなくなること」で生じる開放感なのではあるまいかと思うに到ったのである。

 日常は網の目のような人間同士の関係性で成り立っているから何者かであらざるを得ないし、そこからさまざまな「しがらみ」が生じるわけだけど、ふらっと出た旅先にそんなものはなくて、だから旅とは一寸ばかりこの「網」を抜け出して、「点」になる試みなのだ。

 しかしかかる開放感もやがて寂りょう感に変わるだろう。旅先で思い出した日常は、どうも懐かしくなってきて、なんでもなかったことまで輝き始めるのである。ああ、何たる孤独!

 かくして、この寂しく不安な1人ぼっちの自由を抜け出そうと、人は家路につくのである。で、帰って一言。

 「やはりわが家が1番だ」

 なんて言っても今はサビシイ1人暮らし、脳内旅行から帰路につけないのであって、思わず部屋で奇妙奇天烈に1人、ふらっと踊ったのである。(文時弘、団体職員)

[朝鮮新報 2003.11.17]