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山あいの村から−農と食を考える(14)

「イラク」よりも山村に投資を

 10月13日、この村の学校の創立120周年記念式典が行われた。明治16年に、当時「狸森村」と呼んでいたこの地に「狸森小学校」というのが創設され、それから120年の年月が経過した、というわけである。

 廃藩置県によって、明治政府が出来たのは明治4年。そして翌年から、小、中、高、大の学校が全国に制度化されて、普及創設された。そして、それから11年経った明治16年に、この村にも小学校が開校されたことになる。現在では、3時間そこそこでこの村からも東京に行けるが、汽車も、車もなかったその時代は、100里離れた江戸に行くには、10日の時間が要したのだという。そんな「蝦夷」の村にも、国がすすめる学校が出来たのである。その普及の早さに、私は感心もしたし、驚きもした。つまりそれは、民の力ではなく、官の力であるということを、よくよく知らされるからである。

 以来、日本の教育は「学力」よりも「学歴」を重視した。なぜならそれは「官」の力を強めるために、ほかならなかったのである。軍隊だって学歴の高い者をすぐに昇級させ、小学校しか出ていない者は、すぐれた頭脳や、体力を持っていても所詮それは、一兵卒で終わり、将校にはなれなかったのである。

 そうした学歴社会の中で、この村の子どもたちは、貧しさのために中学校にも、大学にも進めなかった。その悔しさが私などにもあったし、先輩の誰もが体験したことである。

 それが今では、全員義務教育だけの9年だけではなく、高校に進むし、大学にも入って学べるようになった。勉強さえすれば、あきらめなくともよくなったのは、嬉しく思う。しかし「学歴」の壁は、昔と変わっていない。東京大学法学部をめざす全国一律な教育内容は、東京とまったく同じように行われている。

 さて、それはともかく、苦労に苦労を重ねて作り上げられた私の母校、山元小学校の児童生徒の減少ぶりは凄まじい。小、中併設校になってしばらく経つが、その児童生徒の数は小学生22人、中学生14人で、合計38人といった状態だ。私の在学中は、小学生はおよそ300人、中学生が150人で、合計450人もいたのだが、それの十分の一にも満たない。

 鉄筋コンクリートの校舎、大きな体育館、その中に、38人の子どもたちしかいないのである。学校の教職員は18人。それに来賓は子どもの数より多くいる。これが日本の山村の典型的な姿であり、農業の状況を示すものだとつくづく思う。

 しかし、校長の式辞でも、来賓の祝辞でも、それには触れない。120年の伝統を受け継いで立派な学校にしていこう、という。私はそれを聞きながら、もしも私にその機会が与えられたら、いったいどんなことを話しただろうと、そのチャンスをあたえられなかったことでほっとした。

 昔から子どもの声が聞こえなくなると、その家が滅ぶといわれ、村も亡ぶともいわれた。このようにして、日本の農業は山村から亡くなりつつあるのだ。お隣の国、北朝鮮では食べ物が不足しているとたびたび聞くが、山あいの私の村では、田んぼも、畑も、耕す人がいなくなり、今年はあそこの家の田んぼも減反だ、ここの畑も耕されていない、といったふうにして荒れはてていく。元気な人がいるうちは杉などの木を植えてもいたが、今はそれすらもしない。そんな木を育てても、子にも、孫にも、渡す人がいないからである。

 この式典の中でも、市内4校の意見発表会で、中学生が1位と2位を受賞したとお褒めの言葉があった。村の老人から稲作りや、五穀などの作り方を教えてもらい、それを栽培したことを発表したのだそうだ。ここの学校では、先生方がとても一生懸命にそれをやっていて、さらに村の農業にもすごく関心が深いのである。私の作った枝豆や、スイートコーン、それに野菜などもおりおり買ってくれるのもその証拠だと思う。けれど、その真剣ぶりが子どもたちには伝わっていそうだが、当の親たちには伝わらないみたいで、残念なのだ。金を得るために販売するものまでを作れとは要求しないが、自家で食べるコメや野菜ぐらいは、子どもたちと一緒になって土日や、休日にでも作ることが出来ないものかとつくづく思う。食の安全、安心、安定のことを外に向かって言うのもいいが、田も、畑もある農山村に住む人たちは、せめて自分の食べるものぐらいは作るべきだと私は声高く呼びかけずにおれない。

 「農業」といえば「鍬」ではなくて「トラクター」や「コンバイン」がイメージ化される世相だ。そうしたことが若い人たちの土離れをかえってさそうのではないか、と思われてならない。そしてその思いが石油を求めて、イラクに行くのだ。その吸血のごとくのたたかいに使うお金をこの山あいの村の土を耕すことのためにどうして使おうとしないのか、と腹立たしくてたまらなくなる。

 腹も立つが、台所からはおでんの香りがしてきて空腹を感じてきた。山あいの畑で獲れた大根の煮詰まるにおいである。

 山の畑でとれた大根は、甘味があってすごくおいしい。竹輪にこんにゃく、それに卵の煮える香りがしだいにぷんぷん強くなってくる。それで今夜もぐっと一杯やるか。このうまさを私は若者たちに伝えたいのだ。(佐藤藤三郎、農民作家)

[朝鮮新報 2003.11.25]