任秋子、鄭湖月共演による歌と踊りのジョイントコンサート |
任秋子、鄭湖月共演による歌と踊りのジョイントコンサート―「絆」が21日、神奈川県川崎市のエポックなかはらで開かれた。 2人は金剛山歌劇団の前身、在日朝鮮中央芸術団入団から約40年の歳月を共に歩んで来た「戦友」。 歌劇団退団後も、芸術家として飽くなき探求を続け、情熱の衰えを知らない2人の初共演は大きな話題となっている。 2人は互いをこう見ている。 「芸術を通じての友は数知れない程いるが、鄭さんとは本音で向き合い、同じ思いで苦難を共にして、互いに尊重しあいながら、一つの夢を抱き、一つの民族への道を歩んできた」(任) 「任さんは在日の民族舞踊家の草分けであり、種をまいた一人。子供を置いて地方公演の時代は半年も家に帰れなかったこともあった。そんな苦しい時代を共に乗り越えた本当の仲間。とても尊敬できる人」(鄭) 芸術家として同胞に愛され、好きな道を歩んだ2人。それを支えたのが、子育てを全面的にサポートした夫や母、家族だった。 任さんは「不世出の舞姫」と言われた崔承喜に憧れ、10歳の時から朝鮮舞踊の道へ。その傍ら崔承喜も師事した石井漠舞踊研究所で技を磨き、すでに10代の頃からその名が知れ渡っていた。57年に自前の舞踊研究所を設立し、62年に中央芸術団に入団。 「息子が高校生の時『オモニ、もうそれだけやればいいじゃないか。アボジと俺たちにいつまで迷惑をかけるんだ』と言ったことがあった」と任さんは遠い日に流した涙を振り返った。 「でも、その時、夫が息子に『今はつらくてもきっと、舞踊家のオモニを誇りに思える時がくるよ』と諭してくれました」 鄭さんもすでに約5000回のステージに立ち、民謡歌手としてその名を知らない人はいない。歌劇団退団後は、全国10カ所に民謡教室を開き、100人程の弟子を持つ。 「日本の学校を出て、ウリマルも知らなかった私が朝鮮民謡を歌い、日本はもちろん世界の舞台で堂々と歌えるようにしてくれたのは祖国と同胞の存在があったから。深い感謝を込めた歌声を響かせたい」ときっぱり話した。 任秋子さんに師事する陳福貴さん(37)は「先生からはいつも技術だけではなく、普段の生活から民族のプライドを持ってキチッと生きるように言われている。自然体で民族の心を表現していきたい」と語っていた。 昨年の9.17以降、鄭さんも舞台でこの話題を避けたことはない。「どんな風が吹いても、1世が歩いてきた毅然とした歩みに思いをはせ、何よりも次世代を深い愛情で包んでくれた1世の思いを歌で紡いでいきたい」。(粉) [朝鮮新報 2003.11.25] |