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高麗人参余話(21)−高麗青磁

 2002年6月FIFAワールドカップを記念して上野の東京国立博物館でウリナラの貴重な文化財を展示した「韓国の名宝」展が開かれた。三国時代の金製品、各時代の仏教美術、高麗、朝鮮王朝時代の陶磁器や絵画、書籍、服飾、調度、文房具まで紹介された。私は高麗磁器のなかに人蔘の文様の入った梅瓶(口が小さく、頸が短く肩で膨らみをなし、徐々に狭まって胴裾にいたってやや反転しながら広がる瓶のこと)を見つけて見入ってしまった。この梅瓶は青磁鉄彩象嵌蔘葉文瓶という名前で12世紀高麗青磁全盛期の作品で全面に鉄彩を施した後、表面を人蔘の葉のかたちに掻き落として白土を塗り詰めたものである。蔘葉文は大胆にすっきりと表現されて青磁の釉薬が塗られ、畳付けに粗い砂をあてて焼成した見事なものである。

 しかし、なぜ高麗青磁に人蔘の葉が描かれていたのだろうか?

 ウリナラでは陶器や磁器などは住居跡や墳墓から多く出土している。陶器や磁器は日常用と副葬容器に分けて考えることができる。日常用は機能が重要なので凝ってつくる必要はないが、副葬用は死者が美しい世界で永遠に使わなければならないので、あらん限りの想像力を発揮して、美しく力に満ちた芸術品にまで昇華させた。この青磁に不老長寿の霊薬、人蔘の文様を入れたのは死者が来世で永久に生き続ける事を願ってのことではないだろうか。また、時代背景として人蔘に対する信仰もうかがうことが出来るのではないか?

 この梅瓶の蔘葉は二枝三葉であり、6年から12年くらいの山蔘にみられるものである。

 東洋の影響を受けて千余年も遅れて18世紀になってようやく登場した西洋の陶器とはちがい、その釉色(うわぐすりの色)や器のかたち、文様など、わが民族独自の美学と創造性を発揮して造られた高麗青磁を目前にしてわが祖先の美的感覚の素晴らしさに感じ入った。(洪南基、神奈川大学理学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2003.12.5]