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くらしの周辺−人類の偉大な発明

 人間は区切る動物である。とは誰か偉人の言葉ではなく、一凡人のわたしの言葉。

 というのも、人間、区切る能力がなければ、ケジメのないのんべんだらりとした生物として朽ち果てていたであろうと、ぐうたら男であるところのわたしは想像するからである。

 だんだん寒くなってきて、1度収まってしまったら最後、コタツから出られずだらだらぐうたらな時間を過ごしてしまう、というのはままある話であって、かかるぐうたらがよくとる方法は、時計を見つつ、「8時キッカリになったらコタツを出て準備いたします」と自分に言い聞かせるのである。

 で、秒針を見つめつつ、8時5秒前、3、2、1、「ぴゃあ。さぶい!」と悶絶しつつ服を着替えるのである。キッカリである必要はさらさらないはずなのであるが、このきりのいい「区切り」によって、「ぐうたら前後」を自らに設定し、延々と続きかねないぐうたらモードを切り替えることを可能にするのである。

 はやくも年の暮れである。もし1年という「区切り」がなければ、一体なんどき人間は自らを振り返り、そして新たな決意を抱くのであろうか?

 おそらくこの「区切り」は、人間に多くの成長をもたらしたはずである。

 かくしてわたしは年男であった今年を振り返って、成長なき自分を嘆き、そして来年こそはと、毎年同じような決意を抱きつつ、芳ばしいそばを啜るのであろう。

 わたしの本稿にも「区切り」がきたようで。では皆様、よいお年を!(文時弘、団体職員)

[朝鮮新報 2003.12.22]