〈03’世界柔道〉 57キロ級優勝のケ・スンヒ、重圧はねのけ3度王者 |
11〜14日、大阪市の大阪城ホールで行われた03年世界柔道選手権。朝鮮代表のケ・スンヒは女子57キロ級で優勝し、前人未到の世界大会3階級制覇を達成した。(文=千貴裕記者、写真=文光善記者)
優勝を決めた瞬間、ケ・スンヒは喜びをかみ締めるかのように両拳をゆっくりと握りしめガッツポーズをとった。そして次の瞬間、観客席に向け両腕を高く挙げた。両手の人差し指を立てナンバー1をアピール。続けざまに3本の指を立て、世界大会3階級制覇を誇示した。
釜山アジア大会では52キロ級で銅メダルに甘んじた。それから1年、ケは3度目の世界の頂点に立った。 01年のミュンヘン世界選手権で念願の初優勝を果たしたケにとって、アジア大会での敗北は単なる「負け」では済まされなかった。それは、祖国の威信のみならず自ら築きあげた名誉さえも無にする屈辱的な出来事だったからだ。 「夢にも信じられなかった」と振り返るケは、帰りの機内で結果を素直に受け止めることができずにいた。ケの優勝を信じてやまなかった祖国の人々の期待に応えられなかった苦渋が彼女の両肩に重くのしかかった。 9歳から柔道を始めたケはこの1年間、自らの15年間の柔道生活を凝縮させる日々を送ったという。「この1年間はこれまでの10年間に匹敵した」。練習中にめったに弱音を吐かないケが、練習場で3回も涙を流した。それほどの猛特訓を積んだ。辛い時はいつも「もう一回、もう一回優勝し、総書記の期待に応えたい。祖国の人々に力と勇気を与えてみせる」と自分に言い聞かせたという。 試合後、ケ・スンヒの目から涙があふれ出た。01年の世界選手権で優勝した後、思うような成果をあげられず、苦闘の日々が続いた。その月日が走馬灯のように脳裏をかけめぐった。 来年にはアテネ五輪が控えている。田村亮子を破り衝撃のデビューを飾ってから8年、ケは25歳の円熟期に五輪を迎える。オリンピック2階級制覇に向け視界は良好だ。 [朝鮮新報 2003.9.18] |