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〈第83回全国高校ラグビー選手権〉 大阪朝高ラグビー部創部31年目にして「全国」初出場導いた金信男監督

 大阪朝高ラグビー部の勝利を告げるノーサイドのホイッスル。スタンドで試合を見届けた金信男監督は、朝高ラグビー部を支えてきた千里馬ラグビー団の呉成一部長とがっちり抱き合い喜びをかみ締めた。目には涙が。初めての喜びの涙だ。過去決勝の舞台に上がった3回は、いずれも悔し涙を流した。

 母校である大阪朝高ラグビー部を率いて19年。94年、朝高に全国大会出場の門戸が開かれてから実に9年の月日を費やした。

 現役時代はスタンドオフ、スクラムハーフとして活躍。7人兄弟の末っ子。民族教育のありがたさを忘れたくない思いで朝鮮大学校に進み、卒業後、母校の大阪朝高に赴任した。84年、監督に就任、指揮をまかされた。だが、現役時代も赴任後も94年まで「『花園』は見えない存在」だった。練習試合も組めず、監督自ら日本のクラブに助っ人≠ニして出場し、協力者を探し続けた。全国の強豪校に通い監督に頭を下げ練習試合を申し込んだ。練習試合に勝つことで選手たちにその喜びを与えてきた。

 目標を持てない挫折感、苦しみを痛いほど味わいながらも、19年間変わらず「学生たちと意思疎通をはかり、その過程でラグビーを教え人格を育てること」を信条にやってきた。

 94年に門戸が開かれ、4年後の98年に初めて決勝の舞台に立ったが、全国トップレベルの啓光学園に0−59で完敗した。「全国大会でノーサイドの笛を聞くまで挑戦し続ける」新たな決意を胸に、99年、そして昨年もチームを決勝まで導いたが、全国でも名だたる最激戦区の厚い壁を破ることはできなかった。

 今年の3年生部員は11人。ここ数年で一番少ない数だったが、昨年の11月に24人でスタート(現39人)を切った新チームはさまざまなハンデイを乗り越え、今年の新人戦で優勝、大阪総体で準優勝した。

 今大会は、例年にないプレッシャーが金監督に重くのしかかった。組み合わせ抽選の結果、初めて「3強」と呼ばれる強豪校との対戦を免れたからだ。周囲から期待が高まる中、冷静さを保つことに務めた。

 そして迎えた4回目の晴れ舞台。試合前、この1年間のさまざまな出来事を思い浮かべていた。大会準決勝の3日前に尊敬する父、金泰益さんを亡くした。教え子の交通事故死、4年前の主将は、現在白血病と闘っている。

 創部31年間に積もり積もった鬱憤をすべて晴らすかのような劇的な逆転勝利。「今回の優勝は朝高ラグビー部に携る全ての人たちの結晶」と語る。そして選手たちとの関係を何よりも重要視する監督と、金監督を全幅に信じる呉英吉コーチ、選手、父母、関係者の信頼関係がもたらした勝利でもある。

 「不可能を可能にする。自ら門を開いていく」という精神で全国大会出場のキップを手にした。「今日の優勝はもう過去のこと。明日から1カ月、新たな気持ちで練習するぞ」。優勝後、選手たちにはっぱをかける金監督の次なる目標は、全国大会の決勝戦で喜びのノーサイドの笛を聞くことだ。(千貴裕記者)

[朝鮮新報 2003.11.18]