〈手記−体連50年史-6-〉 在日スポーツの大衆化 |
ここ数年来、日本社会において在日同胞に対するさまざまな差別や抑圧がことさらはなはだしくなっているにもかかわらず、同胞の間で体育・スポーツが、ますます広がっているのはなぜだろうか。単に、健康増進や趣味といった理由だけではないと思う。 在日朝鮮人は、つねに迫害や差別にさらされながら肩を寄せあって生活してきた。われわれにとってスポーツは親ぼくと交流の場であり、同胞としてのアイデンティティーを確かめあう場でもあった。 親ぼくの輪広げ地域活性化
いま、在日朝鮮人社会には階層別、年齢別にいろいろなスポーツサークルが組織され日常的に活動している。 人気競技であるサッカーやゴルフ、ソフトボール、オモニたちのママさんバレーやバスケット、ハラボジたちのゲートボールまで、その数はなんと1000以上にもなる。 学校の運動部はさておいても、総連傘下の一分会に一つのサークルができそうな勢いだ。 分会対抗ソフトボール大会に地域の一員として参加したことがあるが、勝っても負けても互いの健闘をたたえあい、いつ参加しても実に和やかだ。 ゲームが終わると、さっそく焼肉パーティーがはじまる。応援にきている同胞や家族たちも合流して、焼肉をほうばりながら酒をくみかわし、仕事や分会のこと、子供たちの民族学校の話など大いに盛りあがる。 大衆レベルのスポーツが親ぼくの輪を広げ、同胞の地域活動の活性化にこんなにも寄与できるものかと、私はあらためて感じ入った。 体連の発展も、結局はこうした同胞たちの要求を反映したものであった。地方組織は50年代後半までは埼玉、宮城、神奈川、茨城にとどまっていたが、60年代には兵庫、愛知をはじめ主要な地方に体育協会が結成され、いまでは北海道から九州まで25の地域に整った。 同時に、サッカー、バスケット、バレーボール、野球、ゴルフ、卓球、テニスなど各種目の競技協会が発足し、スポーツ選手団が各地に作られ活発に動きだした。 華そえた200勝の達成 柔道を皮切りに種目別選手権大会もはじまった。共和国創建20周年を慶祝する中央体育大会が1968年9月12日から2日間、駒沢競技場を中心に11の競技場と体育館で開催された。 大会には31の都道府県と5団体、高級(9)、中級(36)の各民族学校から3000余人の選手が出場したが、これは、体連結成以来の最も大きな総合体育大会であった。 開会式、選手団の入場行進を見ただけでもその規模や内容は国際大会に優るとも劣らないスケールの大きい、とても海外同胞の競技大会とは思えないほどであった。 在日同胞の体育、スポーツ活動は新しい高揚期をむかえた。 この年の8月、蹴球団は対外親善競技で200勝(215戦5敗)を達成し、共和国創建記念日に華を添えた。(琴栄進、在日本朝鮮人体育連合会理事長) [朝鮮新報 2004.6.19] |