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〈手記−体連50年史-8-〉 民族学校のスポーツ

 私たちは日本に住んでいるが、子供たちが民族を守り真の朝鮮人としての自覚と誇りをもって生きていくことを切に望んでいる。この60年間をかえりみると、学校閉鎖令、外国人学校法案など、さまざまな差別や迫害がない時はなかった。しかし同胞たちは、うちつづく困難の中でも、民族教育を守る運動に献身的に参加してきた。

「知、徳、体」の兼備

 「知、徳、体」を兼ね備えた、民族と同胞社会のために役立つ人間育成をモットーとする民族学校では、体育教育とスポーツサークル活動を積極的に推し進めてきた。

 毎年、行われる運動会は家族総出の応援で楽しい身近なイベントであり、同胞たちが交流する重要な行事でもある。60年代からはじまった学生中央体育大会をはじめ、各種目の競技大会は学父母とOBたちの熱意と支援のなかで困難を乗り越え立派に運営されてきた。

 体連傘下の種目別競技協会は、初中高級学校の選手権大会を毎年盛大に開催し、民族学校のスポーツ活動の活性化とレベルアップに努めてきた。

 なかでも人気種目のサッカーは、在日朝鮮蹴球団の活躍もあって学校サークルの花形であった。

 私が蹴球団の一員であったころ、かわいいチビッコ選手のために何かやれる事はないかと、当時のサッカー協会会長の発案により、役員たちが話し合って開催されたのが初級学校中央蹴球大会であった。

 1979年6月、千葉・検見川の東大グラウンドに全国から地域予選をかちぬいた36校代表が集まった。大会のチビッコ選手たちの生き生きとした姿に、私たちは胸の熱くなる思いがした。

 子どもたちの活躍をひとめ見ようと、各地方から集まった父母たちの応援も大変なものであった。

 はじめは、大会運営の負担を心配していた役員も、コマ(チビッコ)・サッカー大会の想像以上の盛り上がりに気をよくしたものである。

高まる関心、今年で26回目

 私たちがもうひとつ考えたことは、大会優勝チームと祖国のコマ・チームとの交流試合を実現させることであった。

 83年6月、朝鮮大学校グラウンドで行われた第5回大会の決勝戦に、思いがけなくも日本公演のため来日していたピョンヤン学生少年芸術団のメンバーが応援に来てくれた。

 大会参加のコマ選手や学父母たち、祖国の小芸術家たちが一緒になり繰り広げられた華やかな応援合戦は、なんとも感動的であった。

 そのとき、祖国の代表は私たちの要請を快く受け入れてくれた。

 いつになく白熱したゲームでは、西播初級チームが北大阪初級チームを下し、優勝旗とはじめての祖国訪問の栄誉をかちとった。

 以来、この大会は回を重ねるごとに同胞と学父母の関心が高まる一方で、今年で第26回目を迎える。(琴栄進、在日本朝鮮人体育連合会理事長)

[朝鮮新報 2004.7.1]