〈手記−体連50年史-9-〉 高校生の晴れ舞台 |
昨年末、大阪朝高ラグビー部と京都朝高サッカー部が、それぞれ府代表として全国高校選手権大会への出場資格を勝ちとったニュースは、全国の同胞青少年たちに大きな喜びと希望を与えた。 京都朝高サッカー部は、生徒数わずか150余人で府下77校の頂点に立ち、大阪朝高ラグビー部は苦節10年目にして全国制覇の強豪がひしめく最激戦区を勝ち抜いての初出場を成し遂げる。 いずれも、終了間際のドラマのような勝利に同胞と生徒の感激はひとしおであった。 気概と技量を発揮 注目された大阪花園ラグビー場と埼玉スタジアムの全国大会会場には、選手たちの活躍をひとめ見ようと全国から多くの同胞が集まった。 私も会場に出かけてみたが、応援に駆けつけた同胞や生徒たちが一つになり力いっぱい声援をおくる姿に、なぜか熱いものがこみあげてくるのを抑えることができなかった。 同胞の期待に応えるかのように、選手たちは全国大会の晴れ舞台で朝高生としての気概と技量をいかんなく発揮してくれた。 試合では、それぞれ上位進出は果たせなかったものの、健闘した選手たちに同胞たちは「よくやった、がんばったね」とねぎらいの言葉をかけあっていた。日頃、執ようなコリアン・バッシングに滅入っている同胞たちのうっぷんを晴らすかのように、スタンドにはさわやかな雰囲気がただよっていた。 「1条校」ではないと排除
しかし、朝鮮学校の全国大会という「晴れ舞台」への道のりは決して楽なものではなかった。長い間、朝鮮学校は日本の公式競技大会にはいっさい参加できなかった。 それは、朝鮮学校が日本文部省(現文部科学省)が定める「一条校」に適さないという理由からである。高体連のインターハイや、中体連の全国中学校体育大会には地域予選すら参加することができなかった。 異国の地日本で、あらゆる差別のなかでことあるごとに朝鮮学生への嫌がらせ、暴言や暴行、女学生の制服であるチマ・チョゴリを切りつける事件が頻発するなか、学校スポーツ界でも民族学校は疎外されてきた。 90年代から、朝鮮学校の高体連、中体連主催の競技大会への参加問題が取りざたされるが、ようやく97年度から「準加盟」の形で全競技への参加が承認された。 それまで学校や生徒たち、学父兄、OBたちのがんばりもあって念願の全国大会への参加がやっと叶った。 全国大会への出場はサッカーで東大阪中級学校をはじめ、広島朝高と大阪朝高が成し遂げているが、北海道のウェイトリフティング、大阪や東京朝高のボクシング部の活躍も目をみはるものがある。 これらの快挙は、民族の誇りと自覚を若い世代がうけ継いでいくことを切に願う私たち1世、2世に対し、青少年が健全にたくましく育っていることを立派に見せてくれているものである。(琴栄進、在日本朝鮮人体育連合会理事長) [朝鮮新報 2004.7.3] |