〈手記−体連50年史-10-〉 統一卓球チーム |
私たち在日のスポーツマンにとって忘れることができないスポーツイベントは、1991年4月に千葉・幕張で開催された第41回世界卓球選手権大会である。 祖国分断46年間の歴史のなかで、初めて「コリア」統一チームが実現した。そればかりか、女子団体で優勝するという快挙を成し遂げたのである。 30余年のすえに合意
統一チーム構成のための北と南の対話は1960年初にスイスのローザンヌから始まりドイツ・ミュンヘン、香港、板門店と30余年も延々と続いたがついに実をむすんだ。 90年9月以降の体育会談で、統一チームの名称は「コリア」、団旗は白地にブルーの朝鮮地図、団歌は朝鮮民族が愛唱してきた「アリラン」と、合意をみる。 この夢のようなニュースに、私はスポーツが朝鮮の平和的統一のために大きく寄与できたのだと小躍りするほどうれしかった。 91年3月25日、関係者とともに成田空港に迎えにでた私は、到着した北と南の選手たちがそろいのユニホームで現れるや、まるで統一朝鮮の代表チームがやって来たような錯覚におちいってしまった。 大会前の新潟、長野での合同練習を通じて、北と南の選手たちはお互いを名前で呼び合い、女子選手は男子選手を「オッパ(お兄さん)」と親しみをこめて呼ぶまでになっていた。 血は水よりも濃いとは言うが、私たちが心配していた社会制度や生活慣習のちがいなど、少しも感じさせないほど選手たちはとけあっていた。 「朝鮮は一つ」を誇示 世界のひのき舞台に登場した「コリア」統一チームは、全朝鮮民族の期待に違わず団体戦で男女とも予選を勝ち上がっていった。 女子団体戦の決勝の相手は、これまで16年間、世界の女王として無敗を誇る中国チームで、下馬評もやはり中国が6対4で優勢であった。 張りつめた場内でのゲームは、息もつまる接戦が続いて2−2となり、勝敗を決めるファイナルゲームのシングル戦で優勝の行方が決まるところにきた。中国の高軍選手に対抗した北のユ・スンボク選手は、沈着冷静なプレーで2−0で下し勝利を手にした。 中国の9連覇を阻止するV達成の瞬間、場内には割れんばかりの「マンセー」の歓声がわき起こり、白地にブルーの朝鮮地図が描かれた統一旗が大きく波うち、応援団をはじめ、北と南の選手、コーチ、役員たちも固く抱き合って涙した。 「アリラン」のメロディーが流れるなか掲揚される統一旗に、会場に集まった同胞はもちろん平壌、ソウルの街頭でテレビ観戦した人びとも、朝鮮は一つであり、民族もまた一つなのだという共通の思いにひたっていた。 それぞれ北と南を支持する在日の青年学生が一つになった応援団のはつらつとした姿も、同胞たちに大きな感動を与えた。 ついで同年10月、ポルトガルで開催された第6回ワールド・ユースサッカー選手権大会にも統一チームで参加し、世界の強豪ブラジルを破りベスト4に入る成果をあげている。(琴栄進、在日本朝鮮人体育連合会理事長) [朝鮮新報 2004.7.10] |