旧日本軍に徴用、戦地で負傷した故朴水龍さんの妻の弔慰金支給申請、総務省が却下 |
旧日本軍に徴用され、戦地で負傷した故朴水龍さんの妻、李英愛さん(70)が、日本の総務省に弔慰金支給の申請を行ったが、障害の程度を理由に却下された。これに対して李さんは7月27日、総務省に異議申立を行った。李さんは、「弔慰金の問題は、夫の尊厳を回復する問題であり、日本政府が反省し謝罪するかの問題」と語った。 日本語使うと喧嘩
「私が家で日本語を使うと、いつもけんかになった。それほど日本が憎かったのだろう」(李さん) 朴水龍さんは、日本の植民地支配時代、故郷の咸興(咸鏡南道)で旧日本軍によって強制的に徴兵された。 大陸侵略を目論む日本の野望のため、無理やり戦地に送られ、何度も死ぬ思いをしたという。 戦闘中に倒れた「戦友」を担いで運んでいるとき、銃弾が右手を直撃した。 「右示指第二節、同中指第一節、同環指第一節挫断創」。利き手のまん中3本の指を失った。 朝鮮解放後、朴さんは広島の民族学校で子どもたちに朝鮮語を教えた。白墨は左手で持った。 1960年頃に東京に移ってからは、右手が不自由なため定職につけず、苦しい生活を余儀なくされた。 「食事のときにはよくスプーンをひっくりかえしていた。写真も右手を隠したものがほとんど」と李さんは語る。 咸興出身とあって、祖国訪問を勧められる機会も多かった。だが、「お年寄りから先に」と、いつも遠慮した。 結局、再び故郷の地を踏むことなく、76年に亡くなった。戦争については、ほとんど話したがらなかったという。 「援護法」の適用外 「無理やり連れていかれて障害を負ったのに、弔慰金をもらえないなんて」と、李さんは怒りを露にする。 総務省が申請を却下した理由は、「平和条約国籍離脱者等である戦没者遺族等に対する弔慰金等の支給に関する法律」に規定する「重度障害と認められない」からだった。 元軍人、軍属のうち、日本人は「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の適用を受ける。 だが、在日朝鮮人などの特別永住者はその対象からはずされた。 「弔慰金法」は、「援護法」から排除された人を「人道的精神に基づき」救済するために成立された。 しかし、「援護法」に比べて支給額が少なかった。さらに、支給対象条件も極端に絞られた。 一方の親指を、あるいは人差し指から小指までの4本を失ったら支給対象となるが、「まん中3本」は適用外だ。 李さんのようなケースなら本来、障害年金、一時金、遺族年金として、これまでに約1000万円以上が支給されていなければならない。しかし、日本政府はたった260万円と定めた弔慰金でさえも、該当しないとして拒否したのである。 「援護法」は、「日本国籍を有しない者」を対象から除いている。同じ軍人、軍属、しかも無理やり戦争に連れて行ったにもかかわらず、朝鮮半島出身者は放置された。 「主人の霊前にとても報告できない。日本は侵略戦争の犠牲者に、二重の苦しみと屈辱を与えている」と李さんは述べた。 李さんは27日、犠牲者に対する謝罪と補償を訴え、総務省に異議を申し立てた。 広報活動にも不備 弔慰金支給のための広報活動にも不備があった。 総務省は2001年4月から今年3月末まで、弔慰金の支給業務を行った。 総務省弔慰金等支給業務室は、「広告、ポスター、説明会などを通じて広報活動を十分行った」と弁解する。 総務省は、厚生労働省に残されている朝鮮半島出身の戦争病者名簿から、約2400人、64億円の支給を見込んだ。 だが、実際は申請540件、支給392件(6月現在、見舞金合わせて)、総支給額は約10億円だった。6分の1にも満たない。 李さんが支給制度を知ったのは2月。「駆け込み申請」だった。「知らない人の方が多いのでは」という専門家の指摘もある。 支給の対象となる人はみな高齢者で、障害を持っている。郵便で知らせるなどの対応をとってしかるべきだった。 戦後半世紀以上が過ぎてようやく講じられた措置であるにもかかわらず、形式的な宣伝。広報活動の不備はいなめない。 総務省は「支給対象者を区別した理由はわからない。だが、65年の『日韓請求権・経済協力協定』によって補償は完全かつ最終的に解決済み」と主張。「今回の措置はあくまでも、人道的精神に基づいた特別なもの」と述べた。 李さんは「弾が少しでもずれていたら主人は死んでいたというのに。多くの同胞が涙を呑んでいると思う」と、くやしさを語った。 手続きを手伝うなど、李さんから相談を受けてきた東京・板橋同胞生活相談綜合センターの関係者は、「差別なのは明らか。個人的な問題ではなく、同胞みんなの問題」と話す。(李泰鎬記者) [朝鮮新報 2004.7.31] |