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総務省、旧日本軍に徴用され負傷した故申八寿さんの遺族の弔慰金申請却下

 旧日本軍に徴用され負傷した故申八寿さんの遺族が、「平和条約国籍離脱者等である戦没者遺族等に対する弔慰金等の支給に関する法律」(以下「弔慰金法」)に基づきさる1月30日付で申請していた弔慰金支給について、総務省は負傷が重度でなかったことを理由に7月15日付で申請を却下した。妻の南桂浩さんは9月13日付で異議申し立てを行った。

愛知県で4件

「心から謝ってほしい」と南柱浩さん(右)と次男の吉隆さん

 1912年10月4日に慶尚南道達城郡で生まれた申さんは、18歳の時に「募集」で九州の炭鉱に連れて行かれた。伝で愛知県瀬戸市の山城陶器の職人として働いた。40年に南さんと結婚。43年10月15日に第212設営隊行員として徴用され、45年10月31日ラバウルで解員される。日本に戻ってきたのは、46年2月ごろだった。

 瀬戸市から同じラバウルに徴用された張仁圭さんによると、設営隊としてやしの木を伐採して泥道をならす作業などをしていたようで、その時に木から落ちて腰を痛めたという。次男の吉隆さんは生前アボジから、船の上で手旗信号をしていて落ちたと聞いたことがあるという。「アイゴ、アパラ(痛い)」と言っていつも腰をさすらされていた。

 日本に戻った後、松原外科医院に通院したが、院長は数年前に他界し、病院も閉院、申さんに関する資料は探し出せなかった。一方、申さんが96年11月22日に他界するまで通院していた公立陶生病院の2〜3年間の100枚に及ぶカルテには、急性腸炎、転倒(20年前)による頭部、右足、肋骨、右大腿骨などの病歴が記されていた。遺族によると、この病歴は腰の障害が原因だという。

 総務省は、中間調査の時点で瀬戸市に文書を送り、裏付ける資料がない限り、「相談者には請求そのものが無用な費用と労力を費やすことになりかねないことなど、懇切丁寧に説明することとされたい」と指導している。

「心から謝って」

 【解説】総務省は「弔慰金法」に基づき、2001年4月から今年3月末まで、弔慰金の支給業務を行った。元軍人、軍属のうち、日本人は「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の適用を受けるが、在日朝鮮人などの特別永住者は対象外。彼らを「人道的精神に基づき」救済する目的で作られたのが「弔慰金法」だが、「援護法」に比べ支給額が少なく、条件も狭められた。

 総務省は、厚生労働省に残されている朝鮮半島出身の戦病者名簿から推算して、約2400人、64億円の支給を見込んだ。だが、実際には申請540件、支給392件、総支給額も約10億円にとどまっている(6月末現在)。

 申さんの遺族が申請した「弔慰金法」は、旧軍属であった在日朝鮮人の訴えに応じてやむを得ず制定した中途半端な制度だといえる。重度でなければ支給されず、「援護法」との差別化は歴然としている。

 「苦労ばかりしてきたオモニにアボジからのプレゼントとして支給されれば」との思いから、数カ月にわたって資料集めをして申請にこぎつけた吉隆さんは、「カルテは10年しか保存されず昔の物は残っていない。裏づけをするのは日本政府自身ではないか。あまりにも朝鮮人をバカにしている。政府は今回の残った数億円をどうするつもりだ」と憤りを隠せない。また妻の南さんは、「お金がほしくて申請したんじゃない。遠くまでつれてって苦労させて、悪い事したと心から謝ってほしい」と話す。

 総務省によると、9月1日現在、愛知県で申請した同胞は39件で、30件(うち1件が見舞金)に支給され、5件が調査中で4件が却下されたという。申さんのケースはこの4件中の1件にあたる。【マダン21(愛知県朝鮮人強制連行真相調査団)】

[朝鮮新報 2004.9.25]