〈7.1措置後の平壌-上-〉 各所に新規の食堂 |
昨年10月末から、ほぼ1年ぶりに平壌を訪れ、約4カ月間滞在、取材活動した。市民らは1年前とはうって変わって労働意欲に燃え、とくにサービス部門では、各所に食堂が新規オープンするなど盛況だった。2002年7月1日の価格および生活費の調整(以下「7.1措置」)の効果をはっきりと感じ取ることができた。 国内通貨で支払い 平壌に着任してから間もなく、知り合いから食事に誘われた。費用は全部持つという。初めてのことだった。
知人が案内してくれたのは、普通江近くのオープンしたばかりの料理店で、テーブル、イスはもちろん壁や照明などすべて新品。焼肉とビール、サラダ、冷麺などを腹いっぱいごちそうになり、さらにはカラオケで自慢(?)の喉まで披露した。 楽しい一時はあっという間に過ぎ、店を出る時間が近づいてきた。と、その時一抹の不安が頭をよぎった。「相当食べたしおまけにカラオケまで。果たして彼はお金を持っているのだろうか」。 しかし、心配は徒労だった。彼は何食わぬ顔で支払いを終えた。支払いは外貨でなく、国内通貨だった。「毎日は行けないが、たまの楽しみに」と語った。 この種の食堂、新たに建てられた切手展示館内や平壌大劇場内の食堂を改装するなどしてオープンしていた。円やユーロで支払いをする外貨食堂より数段安く、味も確かなので市民の人気を呼び、連日にぎわっていた。ちなみに、外貨食堂の関係者は、こうした新規食堂の出現にライバル意識を持つばかりか、危機感をも感じていた。 これら新規の食堂は、市民たちの平均賃金からすると決して安くはないが、外貨ではなく国内通貨で利用できるという点が市民に受けている。「7.1措置」以後を語る上での象徴的な出来事と言える。 年末年始、雑誌の取材が重なったこともあり、平壌の食堂街・蒼光通りの「マンプントック店」や「プンニョンチヂミ店」、海外でも知られている冷麺の玉流館、平壌タンコギ店、メギタン店など、数多くの食堂を「食べ歩き」する機会が多かったが、1年前と比べて客層に家族連れが増えた印象を受けた。 反面、少し驚いたのは取材の際、大半の食堂で「試食」した分の費用をきっちり請求されたことだ。以前はこのようなことはなかった。 利益が評価基準に 売上を伸ばすために、従業員が熱心に働いている姿も印象的だった。
蒼光通りに連なって軒を並べている16の焼いも屋は、それぞれが焼く工夫をこらしていた。通りの各食堂が運営しているこの屋台ではさらに、中華料理専門店ならギョーザを、鶏料理専門店なら焼き鳥を売るという具合で、し烈な販売競争を繰り広げていた。 「マンプントック店」は、昨年11月以前は午後8時までだった営業時間を10時まで延長し、併せてメニューも増やした。厨房長のリ・ボクシルさん(50)は、もち料理が専門だが、今はキムパプ(朝鮮ののり巻き)や冷麺、クッス(うどん)などの料理にも挑戦しているという。 蒼光奉仕総局の関係者によると、最近はいくら料理の見栄えがよくて安くても、おいしくないと客は来ないという。だから、どの店も味には人一倍神経を使って競争しているとも。 そういえば、取材で訪れた平壌基礎食品工場の技師長も、「最近は量より質」と話していた。 また「7.1措置」以後、生産量だけを保障すれば良いというわけにはいかなくなった。どれほどの利益を出せるのか、ということが評価の基準になっている。 だから、各食堂内には月間の売上目標や実績のグラフが掲げられるなど、売上を伸ばそうとする意識を従業員全員が共有、一体となっていた。(姜イルク記者) [朝鮮新報 2004.3.27] |