「北の化学兵器人体実験」関連文書は「私たちが作った虚偽文書」 |
【平壌発=李松鶴記者】英BBC放送が2月、朝鮮が「政治犯を化学兵器の人体実験に使ったことを示す極秘文書を入手した」と報道したことを契機に、日本などのメディアが相次いで同様の内容を報じ流布していることと関連して3月30日、その資料として悪用されている文書が虚偽ねつ造された物であることを明らかにする記者会見が人民文化宮殿で行われた。会見には、文書をねつ造し現在は南朝鮮にいる姜成国(32)とその家族の父・姜秉燮氏(59)、妻、次男らが参加した。父・姜氏は会見で、「『化学兵器による人体実験』関連文書は、7年前に行方不明となって越南逃走した長男の姜成国と私の家族がつくった虚偽文書である」と吐露した。発言内容を以下に紹介する。
南の人権団体からカネがもらえる 私は昨年8月、中国に不法越境して戻り、現在、咸鏡南道興南市2.8ビナロン連合企業所の軽労働職場で働く労働者である。住所は咸鏡南道興南市ソナム洞3班で、家族は妻と現在南朝鮮に行った長男の姜成国、次男の姜成学、嫁いだ娘の5人である。 われわれが不法越境しようと考えたのは、すでに7年前に行方不明となって消息が途絶えた長男からこれまで父母に多くの心配をかけたが、自分がいくらかのカネを渡すので中国で会おうという数回の連絡を受けてからであった。
私は妻と共に昨年の8月29日、不法越境して延吉で成国と会い、11月初には次男の成学とも会った。 長男の成国と、われわれ家族が虚偽文書をねつ造するようになった過程について話すことにする。 それは、多分2003年11月25日頃である。 この日、延吉市にある5階建てのアパートで朝食を済ませ、午前10時頃になった。いつもなら、われわれに南朝鮮に行けば豊かに暮らせる、良い待遇が受けられる、どこそこへ見物に行こうなどと言っていた成国がその日に限ってかしこまって、「今、南朝鮮経済も下り坂になって暮らしにくい、とくにわが家の場合、両親が年老いてどうすることもできないので、成学を大学で学ばせてりっぱな人材に養成してこそ、わが家が豊かに暮らせるようになる、その多額のカネを得るためには、何か策を講じなければならない」と言うのであった。 つい数日前まで、南朝鮮に行けばソウル江南区木洞という景色の良い場所にりっぱなアパートの3階に自宅があり、自家用車まであると言っていたのに、今日はなぜそんなことを言うのか疑問を抱いた。 われわれの顔色をうかがっていた成国が私に、「お父さん、当該機関に入って殴られて腰が曲がってしまったと言おう。そうすれば、障害者待遇ではなく、北朝鮮でのように戦傷栄誉軍人の待遇を受けられるよ。お父さんの腰についてはそのように言えば良い、しかし、それだけではだめだ」「お父さんの企業所に工場から離れて山奥のような所にある職場がないだろうか?」と尋ねるのであった。 私は深く考えもせず、「職場ならひとつ山奥にある」と答えた。 すると、成国は「お父さん、そこで化学兵器による人体実験をしていることにしよう。そうした重要秘密を探知して南朝鮮に来たと言えば人権団体から多額のカネをもらえる」と言った。 私が、「この愚か者、私の工場の傘下に化学工場などあるわけがないだろう。とくに化学兵器の生産などはありえない」と言うと、成国は「お父さん、お父さんは年を取ったのでその程度のことしか考えられないのだ、自分が文書をつくったので見てほしい。南朝鮮の人権団体に何がわかるというのか? 化学工場なのでそんなものを作るかも知れないと思うだろう」と言い張った。 すでに作成されていた「移管書」 10時30分になった頃、成国が衣装タンスを開けてボール紙筒を取り出し、そのなかから模造紙を数枚取り出した。すでに印刷された紙であった。紙の上部の中心に「移管書」と記されており、その下の左側に「姓名、性別、生年月日」などと記され、その下に「出生地」、さらにその下に「居住地」と記され、その間に10センチほどの余白があった。そして下の部分に「2.8ビナロン連合企業所の当該機関に移管する」、一番下に「チュチェ年、月、日」という文字が記されていた。 そこで私が「ここに何を書くのか?」と尋ねると、「お父さん、死んだ人々の名前を思い出してほしい」と言うのであった。私が「いつ死んだ人でも構わないのか?」と尋ねると、「昔死んだ人ではなく、今から1、2年前に死んだ人を選んでほしい」と求めた。 いざ、死んだ人を選ぼうとすると、名前が思い出せなかった。 すると、成国がひざをたたいて「そうだ、林春和兄さんが死んだので、その名前を入れよう」と言った。春和は妻の姉の次男で、咸鏡南道新興郡で農場員として働いていたが病死していた。その次に住所も年齢も知らない4人の名前を思いつくままに書いてみた。 住所は、みんなが咸鏡南道ではまずいと言うので、息子が自分の思いつくままに書き入れた。このようにして草案を作り上げた。 続けて、私が「それでも文書ならば、初歩的な体裁は整えるべきだ、子供でも分かる偽造文書をつくってどうするのか」と聞いた。 すると、笑いながら「自分がわきまえて処理するので、少し休みなさい」と答えた。そして、私に字を少し書いてほしいと言った。 成国が言うには「自分が書けばばれるので、お父さんに頼んだ」とのことであった。何文字か書いたが、気にいらないらしく、テレビを見ていた大学出の弟の成学を呼んで清書させた。 こうして虚偽文書がすべて清書されると、再び衣装タンスを開き、段ボール箱のなかから紙筒のなかにある印章と印肉を取り出して清書された偽りの文書に機関の判と公印を押した。 その印章は、余りにもでたらめな物だった。国章の山は、白頭山ではなくただの山であったし、ダムだけがあって発電室のない印章であった。 そこで「成国、この印章はでたらめだ。内容はだませても、この印章では私でもだまされない」と言うと、「大丈夫だ、奴らが絵柄などしっかり見るかい?」と言ってカバンのなかに入れた。 元々、成国は子供のころから勉強をしない問題児だった、われわれと別れて7年の間にこうした虚偽文書もいともたやすく作っていることが信じられず、誰かが裏で操っているのでないのかと思った。 その翌日の朝、その家の婦人が何か不安に思ったのか「成国、もうあの印章は必要ないでしょう?」と尋ねた。成国が「ああ、必要ないよ」と言うと、その婦人はナイフを持って来て、印章を取り出して削り取ってしまった。 このようにして、ありもしない「化学兵器による人体実験」という虚偽文書が作られ、成国を通じて南に出るようになった。 [朝鮮新報 2004.4.6] |