top_rogo.gif (16396 bytes)

〈第9回離散家族、親せき面会〉 肉親の情を再確認し合う

 【高城発=李松鶴記者】第9回離散家族、親せきの再会が3月29日〜3日にかけて金剛山で行われ、北と南の家族、親せきらが約半世紀の間積もりに積もった肉親の情を交わしあった。今回の再会は北南当局が昨年1月、面会所の建設で合意した後初めて行われたもので、人々の表情もこれまでに比べ明るくなったように感じられた。しかし一方で、南の当局者が北の体制をひぼうする発言をしたことにより、日程が一時中断されるという初めての、遺憾な事態も生じた。

54年ぶり、次は面会所で合おう

 「兄がこうして生きていたことが一番うれしい」

 兄のクォン・ソッキさん(71)と再会したクォン・キョンスクさん(65)は、眼を潤ませながらこう語った。慶尚北道盈徳郡が故郷のソッキさんは1950年、義勇軍に入隊し兄と共に北に渡った。

3月29日から3日まで行われた第9回北南離散家族、親せき面会

 兄弟たちと再会する前、ソッキさんは「当時、弟や妹は私たちについていくと泣きやまなかった。私たちが北に渡った後、『アカの家族』ということで多くの苦労をしたはずだ。会ったらまず、どのように暮らしてきたかを聞きたい」と胸中を打ち明けた。

 「この場に1番上の兄さんもいれば兄弟みんながそろうのに…」

 「平壌にいる兄さんは、ここのところちょっと体調を崩していて、私に代表して行ってこいと言われて来たんだ。みんなによろしく伝えてくれと言っていたよ」

 「こうして54年ぶりにやっと会えたのに今度はいつ会えるの?」

 「北と南の当局が面会所の建設に合意したんだから、面会所ができたら兄さんも一緒に兄弟水入らずで話そう」

 今回、キョンスクさんと共にソッキさんと再会を果たしたのは姉のヨンスクさん(77)、弟のコンギさん(71)とペッキさん(67)。最初は涙を流していた彼らも互いの元気な姿を見て安心したのか、時間が経つにつれて笑顔になり、半世紀の空白を埋めるかのように昔話に花を咲かせた。

弟を見た瞬間、胸が詰まりそうだった

 一方、45年に勉強するため平壌に行き、朝鮮戦争の勃発により家族と離れ離れになったチョン・マンスさん(78)は、姉のドンスンさん(82)、妹のスニョンさん(77)とケリョンさん(72)、そして弟のソンスさん(69)と59年ぶりに再会した。

 「兄とは私が9歳の時に離れ離れになったので、はっきりした記憶は残ってなかったが、再会したらすぐに兄だとわかった。早く統一して兄と普通に会えればいい」

 ソンスさんはこのように話しながら、兄マンスさんとの再会を心から喜んでいた。

南の兄弟と54年ぶりに再会したチョ・ハングさん

 姉のドンスンさんは、「弟を見た瞬間、胸が詰まるようだった。もう死んだものと思っていたから。こうして会えたことはとてもうれしいが、また別れなければならないと思うと切ない」とマンスさんの手を握りしめながら語った。

 京畿道坡州が故郷のチョ・ハングさん(74)も義勇軍に入り北に渡った1人。今回、2人の兄、姉の娘、兄の息子たちと会った。

 「こうして兄たちと会えたのは6.15共同宣言のおかげ。1日も早く統一を成し遂げてまた再会したい。54年ぶりに再会した兄たちは昔の面影のままで、本当にうれしい」と話すハングさんを見つめながら、2番目の兄のハンボクさん(77)は、「この喜びをどう表現すればいいかわからない。とにかく弟に会えてうれしいという一言につきる」と語った。

南当局者の言動で三日浦参観中止に

 1〜3日にかけて行われた第2陣の再会は、南の当局者が北の体制をひぼうする発言をしたことにより、三日浦参観が中止になるなど日程が一時中断した。

 それまで満面に笑みをたたえながら話をしたり、写真を撮っていた家族、親せきたち。しかし再び別れる時が来ると、涙がとめどなくあふれる。バスに乗り込む兄に、「兄さん行かないで。今別れたらいつ会えるの」と泣き叫ぶ妹たち。北の兄は「必ずまたすぐ会える。だから泣かないで笑いながら別れよう」となだめながら、しっかりと握り締めた妹たちの手をさらに堅く握り締める。こうした光景を見ながら、現代峨山の若い職員たちも耐えかねてほおを涙で濡らしていた。

 なんの便りもないまま半世紀を過ぎてようやく会えた家族、親せきたちは、たった3日という短い間にその間の、肉親の情を再確認し合う。彼らの貴重な再会の時を、最大限に生かし保障してあげることが同じ民族としての道理ではないだろうか。その貴重な時間の一部を奪った南当局者の行動が、腹立たしくてならなかった。

[朝鮮新報 2004.4.8]