〈化学兵器人体実験〉 姜成学氏の記者会見発言内容 |
前号既報のように、朝鮮が「化学兵器による人体実験」を行っているとの関連文書は「自分たちが作った虚偽文書だった」と3月30日、平壌の人民文化宮殿で記者会見し告白した姜秉燮氏(59)とその家族。以下、会見での次男成学氏の発言内容を紹介する。
とうてい兄が考えたとは思えない文書 私がまさに、兄の成国(7年前に越南逃走、虚偽文書作成の首謀者)にだまされて、南朝鮮と西側が最近騒ぎ立てている朝鮮の「化学兵器による人体実験」についての偽造文書を直接清書した姜成学である。 この文書を書く時、兄はカネをもらうため文書を作ったかのように言ったが、実際は自分らが中国に行く前にすでにでっち上げられていた政治謀略劇、ねつ造劇である。 幼い頃から勉強嫌いで、遊んで暮らすことを好んでいた無知な兄がこのような文書を考え出したとはとうてい信じられない。 兄も、わが朝鮮を孤立、圧殺しようとする人々の陰謀にかかって父母兄弟をそそのかしてありもしない「化学兵器による人体実験」に関する虚偽文書を作成したのであろう。 今考えると、われわれを党と領袖、祖国の前にぬぐいきれない大反逆罪を犯すようにした兄と、それを裏で操った悪らつな敵に対する憎悪と敵がい心によって、私は途方もない偽造文書作成の真相を明らかにしなくては到底耐えられない。 虚偽文書を書いた当時の経緯についてもう少し具体的に話したい。 その日(03年11月25日頃)の朝、食事を取ってから午前10時30分から40分頃、私がテレビを見ていると、兄が私のところに来て字を書いてみろと言った。 私が紙に字を書くと、それを見た兄は、「お前、字が上手だ、大学出はやはり違う」とおだて、私に文書を書けと命じた。 私がどんな文書を書くのかと尋ねると、「今後、南朝鮮に行こうと、どこに行こうとカネがたくさん必要だ、仕事をしてカネをもうけるのは難しい。自分に考えがあるので、言うとおりに書けば良い」と言うのであった。 そして、私の前に文書様式を出したのだが、文書様式は「移管書、姓名、性別、生年月日、出生地、居住地」となっており、余白が少しあり、その下に「2.8ビナロン連合企業所の当該機関に移管する、チュチェ年、月、日」とその下に記されていた。 この文書様式に私は、兄が言うとおりに書き始めた。 水につけて乾かし本物に見せかける 先にお父さんも言っていたが、私の従兄の林春和に対する「移管書」をはじめ合計5枚書いたが、残りの4人の姓名、生年月日、出生地、居住地は、お父さんと兄がその場で思いつくままに言ったので、記憶に残っていない。 このように文書を作成した後、兄はすでに準備しておいた公印、印章を取り出して文書に押した。 次に、文書に押した印章の跡が乾くまでしばらく置き、この文書をしわくちゃにして水に浸けてから伸ばして乾かした後、再び取り入れて保管した。 私がなぜそんなことをするのかと聞くと、誰が見てもこの文書が偽造文書ではなく、本物の文書のように見せかけるためであると言った。 このようにして私は、映画で見たナチスドイツが第2次世界大戦の時期に捕虜に対して行ったという化学兵器による人体実験をわが朝鮮で行っているという身の毛もよだつ虚偽ねつ造文書を自分の手で直接清書するようになった。 今になって考えて見ると、いくらかのカネに惑わされて、私をこれまで育て、大学で勉強までさせてくれたありがたい母なる祖国、金正日総書記の愛情を裏切った自身に対する幻滅と自責により、わが祖国の澄んだ空を見上げることもできなかったし、親友や隣人たちと会うこともできなかった。 しかし、わが朝鮮は祖国に戻ってきた私たちが子孫代々ぬぐえない大反逆罪を率直に話し、許しを請うたことに対し寛大さを施し、われわれ家族が新しいスタートを切れるようにしてくれた。 私は「化学兵器による人体実験」に対する偽造ねつ造文書を直接清書した本人として、このねつ造文書の虚偽性を世界に明らかにすることがありがたいわが祖国、朝鮮民主主義人民共和国の公民としての義務と本分を果たす道であることを遅くにして悟った。(平壌=李松鶴記者) [朝鮮新報 2004.4.9] |