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〈龍川駅爆発事故〉 本社記者現地レポート、「小学校は授業中だった

 【平壌発=李松鶴記者】爆発事故が起きた平安北道龍川郡に27日、現地入りした。報道されたとおり被害状況は甚大であった。しかし、現地のスタッフと住民らは被害復旧に全力を尽くしていた。

人的被害の原因、ほとんどがガラス破片

 「事故が起きたのは昼12時15分頃。小学校は授業中で…」

爆発事故の被害は半径4キロにも及んだ

 記者を案内しながら被災地を回ってくれた龍川郡人民委員会のキム・ギョンイル事務長は、事故当時を回想しながら声をつまらせた。

 事故は、駅から約100メートル離れた場所で、硝酸アンモニウム肥料を積載した貨物列車と油槽車両の入れ替え作業中、高圧電線に接触して起きた。爆発現場には15〜20メートルの大きな穴ができた。事故の規模がうかがえる。

 27日現在、154人の死者、1350人の負傷者が確認された。多くの負傷者がガラス破片によるものだという。また、1850世帯の住宅が完全に倒壊し、6200世帯が窓、屋根などが損壊する被害を受けた。

 事故現場のすぐそばにあった小学校、農業専門学校、食糧工場など12棟の公共建物のうち10棟は完全補修が必要だという。

 とくに、4階建ての小学校校舎は、4階部分が完全に破壊。76人の犠牲者はここで勉強していた子どもたちだった。3階以下も窓ガラスが割れ、今は建物の形骸だけが残っている。

 現場では復旧事業が活発に行われている。

 事故現場から半径500メートルの範囲内にある建物はほとんど破壊され、駅周辺のアパートなどの建物はガラス窓が破損、ビニールを張って補っている。これ以外の区域は、若干地形が高く、被害は半径500メートル内に比べると小さい。

 事故発生直後、郡では二次災害に備えて、この付近に住民を即時退避させたという。

事故から4日目、1人のこどもを救出

 事故現場から半径500メートルを超える地域では、被災民の生活を安定させる一連の措置が講じられている。

 龍川郡と平安北道の活動家らは、政府の支援を受けながら、住民の食糧問題を解決することに力を入れている。

 事故で、九死に一生を得た小学校の児童らの授業を再開する対策も立てた。

 キム事務長は、「現在付近の中学校で、中学校の生徒らと交替で授業を受けている。食糧問題は、周辺の里や郡、全国各地、そして国際的に寄せられている支援が大きな助けとなっている」。

 児童らも、友人を失った悲しみを力と勇気に変えて従来の生活を取り戻そうと努力しているという。事故から4日が経った26日には、救出作業が行われていた小学校校舎のがれきの下から1人の児童が救出された。開口一番、お腹がすいたと話したという。

 龍川郡には事故発生の次の日から、近隣地域から食糧をはじめとする支援物資が届いた。つづいて政府の支援物資も届いた。記者が現地入りした日も、人民保安省からトラック10台分の物資が届けられ、中国からのテント、綿、セメントなどの物資、建設資材が届けられた。

 住民の一部は野外でテントを張って生活しているが、大部分は被害の少なかった住民の家に避難、暮らしている。一方、被害の少なかった住居に対する安全確認の作業が行われている。充分とは言えないが、食糧は適期に供給されている。

 駅前にある旅館内に指揮部が設置され、復旧事業を指示している。ガラスは割れ、施設もままならないが、活動家らは住民の生活を取り戻すため昼夜を問わず奮闘している。

 キム事務長は、「現在、決定的に不足しているのは建設資材。医薬品、食糧品も充分ではないが、支援を受けているのでどうにか大丈夫」と話していた。

 そして、「昨日、郡で決起集会を開いた。全国からの支援に答えられるよう、わが郡を以前より立派に復興しその姿を見せようと決意した。被害は大きいが、全国そして各国からの支援に勇気づけられ、被害を取り除こうと全力を尽くしている」と述べながら、「支援者にわれわれの覚悟と決心を伝えてください」と話していた。

[朝鮮新報 2004.4.29]