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北南労働者統一大会、民主労総全国鉄道労組委員長北訪問記

 去る4月30日から5月3日まで南の労働者309人は、平壌で行われた北南労働者メーデー統一大会に参加するため北を訪れた。その時初めて北を訪れた民主労総のキム・ヨンフン全国鉄道労働組合委員長は5月28日、大会に参加した感想を南のインターネット新聞、統一ニュースに寄稿した。その一部を紹介する。

政府主管の事前教育

平壌市民の歓迎を受ける南の代表団体

 6.15共同宣言の実現のために闘ってきた同志たちにくらべ、何もしてこなかった自分がただ委員長というだけで北を訪問することに後ろめたさはあったが、踊る気持ちは抑えきれなかった。

 北を訪れる前日、ソウルで訪北教育を受けた。北を訪れる人は、関連法により政府主管の事前教育を受けなければならない。

 私はその教育を通じて、政府の統一観と政策の変化を捉えようとした。

 1時限目のテーマは、「6.15以後の北の変化」だった。しかし、あまりにも一般的で、過去の政権とくらべ何の変化も感じられなかった。

 2時限目は、北でしてはならない言動など、留意事項に関するものだった。講師はとくに、北のすべての人が着けている金日成バッジを指で指す行為も良くないし、指導者に対して呼び捨てにするのは失礼なので、金日成主席、金正日委員長と呼ぶのが自然だと話していた。

 私は心の中で、本当に世の中が変わったと思った。しかし、講師自身がこれを説明しながら北の指導者を呼び捨てにしていた。

 統一しなければならないもう一つの祖国の指導者として接する気持ちが大事なら、講師自から金日成主席、金正日委員長と呼ぶべきで、そうすれば教育の目的を達成できたのではないか。

 私は、この講師らこそが、民主労総役員の特別講義を受ければ良いのではと思った。

北の家族と自然に接し

 直航路のチャーター機が仁川国際空港を出発。離陸から間もなく、「今、北の領空に入りました」というアナウンスがあった。1時間も経たないのに、高度を下げ平壌空港に到着した。「平和な農村」というのが初めて受けた印象だった。

 飛行機を降りると、「われわれは一つ!」「祖国統一!」という大きな声が聞こえてきた。数百人の群集がわれわれを待っていた。熱烈に歓迎してくれた北の同胞に写真を撮って良いかと聞いたら、良いという。北の当局はわれわれの訪問期間、写真撮影、住民との接触に対し、何も問題にしなかった。すごく自由で北の同胞も自然に接してくれた。

 訪問期間、初日は万景台と万景台学生少年宮殿、平壌タンコギ(犬肉)店に行き、2日目は陵羅島でメーデー統一大会、人民文化宮殿で歓迎宴があった。3日目は妙香山に行き、最終日はプエブロ号、大同江ビール工場、主体思想塔を参観し、玉流館で食事した。

 私が見た平壌は、雄大な建物と清潔な通り、川と緑のある、どの国の首都にも劣らない都市だった。

 初日の日程を終え、われわれの宿泊した羊角島ホテルに帰る途中、街の建物の屋上には「朝鮮の心臓、平壌」「強盛大国建設」というネオンが点滅していた。困難な状況下でも富強な国を建設しようとする人民の脈拍が伝わってきた。

 われわれは、より多くの同胞と接するつもりで夜にはホテル周辺を徘徊し、それは自然と酒の場へと移った。すぐに夜が明けそうになり、店の従業員に申し訳ないと思って、「退勤時間が遅れるのではないか」と聞くと、いつも「大丈夫です」と答えてくれた。心からそう思っているという表情だった。

プエブロ号の不思議

 最終日は、大同江に浮いているプエブロ号を観覧した。

初めて北を訪れた著者(中)

 プエブロ号事件。1968年米軍の情報艦プエブロ号が北の領海である元山の海上で偵察活動中、朝鮮人民軍の海軍によって拿捕された事件だ。北と米国が長期間協議を行った結果、米国は公式に領海侵犯を認めて再発防止を約束し、米軍の捕虜が送還された。プエブロ号は北に抑留されたままだ。

 われわれが観覧したとき、この作戦に直接加わった軍人が当時の状況を説明してくれた。米軍艦船が拿捕された事実も不思議だったが、元山で拿捕されたプエブロ号がなぜ大同江にあるのかも不思議だった。元山から平壌に移すためには公海上を通って朝鮮半島をぐるっと回らなければならないからだ。

 これに対する軍人の説明はこうだった。

 「プエブロ号を分解して陸地で移送した後でまた組み立てる方法も考えたが、これは無理。プエブロ号を一般船舶に偽装することにして、これを敢行した。米国は大同江に移した3日後にこれに気づき、嘆いたという。人民軍に不可能はない」

 肝がすわっていると思った。

 最近北でよく使われる言葉が「先軍」だ。

 われわれは単純に南での経験に基づき、「軍隊=独裁権力=悪」と判断していないだろうか。

 戦争し、まだ停戦状態という不安定な状況で、また、長期間軍事独裁によって苦痛を強いられてきたわれわれにとっては、軍の問題はとても敏感な問題だ。しかし、考え方を180度変えて、軍隊がいつも人民と苦痛を共にし、この地の民主主義を守るために奉仕してきた集団だとしたら、軍に対する認識は大きく変わる。

 北の同胞は経済的な困難を率直に認めた。経済発展も重要だけど、国防力が担保されない豊かな生活は一瞬にしてなくなってしまうということを強調しているように受けとめられた。

 平壌での4日間は、北をもっと知る機会であったし、自分が今どの位置にいるのかを振り返る機会にもなった。(翻訳、編集部)

[朝鮮新報 2004.6.10]