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〈先軍政治の今-下-〉 外勢排除、民族自立の追及

 北南関係において、先軍政治はどのように具体化されているのだろうか。労働新聞によると、「統一問題を朝鮮民族自身の手で、平和的方法で解決すること」―。つまり外部勢力との共助ではなく、民族共助、民族自身の力で統一を成し遂げようという2000年6月15日に発表された北南共同宣言の精神を実りあるものにしていくことを先軍政治は求めている。

一貫して民族共助

仁川で盛大に行われた6.15共同宣言4周年わが民族大会

 北はこれまで、「自主」「平和」「民族大団結」の「祖国統一3大原則」と「全民族大団結10大綱領」、そして「高麗民主連邦共和国創立方案」の3つを「祖国統一3大憲章」として位置付け、北南関係を進めてきた。

 北南の両首脳によって発表された北南共同宣言は、「『祖国統一3大原則』を全面的に具現した祖国統一への里程標」(労働新聞、00年6月17日付)であり、これに沿って北南関係を進展させていくというのが北の終始一貫した立場だ。

 北では90年代末から政府、政党、団体が一堂に会し統一を成し遂げるための大会を毎年行い、01年の大会では7千万同胞に送るアピールを採択。その中で今年(01年)を「わが民族同士で統一の門を開く年」とし、6月15日から8月15日までを「民族統一促進運動期間」に定め、統一行事を盛大に開くなど北南、海外が団結し、統一への雰囲気を盛り上げようと訴えた。

開城工業地区の設置により民族経済のバランスの取れた発展の土台が築かれた

 6.15共同宣言発表後、これまで14回にわたって開かれた閣僚級会談で北は、民族共助と外部勢力の排除という立場から、北南関係が共同宣言の精神に沿って進展するよう南に働きかけてきた。

 北のこうした立場は南との経済協力事業、最近では軍事分野でも如実に表れている。

 名山として知られる金剛山の観光や開城工業地区の設置は北と南が手を取り合い、民族経済をバランスよく発展させようとの意図の表れである。

 6月2〜5日まで行われた北南経済協力推進委員会第9回会議では、開城工業地区で年末までに製品の生産に入ることや、東西海線鉄道のテスト運行を10月頃に行うなど7項目からなる合意書を発表し、北南の経済交流が実質的な成果を上げるための土台が築かれた。

 また、同月3、4の両日に雪岳山で行われた第2回将官級会談では、軍事境界線一帯での宣伝活動を中止することなどを含む4項目で合意し、6月15日からは拡声器などの宣伝手段が分断後初めて撤去された。

 このような動きは半世紀間、対立してきた北南の関係が、「外部勢力排除」「民族自主」という先軍政治の目指す方向に向かいつつあることを物語っている。

変わった南の意識

 「私たち農民の生活が苦しくなるのは、米国のせいだということにようやくみんなが気づき始めた。最近、南では資本主義の悪いところが出始めている。南の農民にとって、統一は政治的スローガンではなく生活に基づいた切実なものになりつつある」

 金剛山で6月27日に行われた北南農民大会に参加した南のある農民の言葉だ。

 また、仁川で行われた6.15共同宣言発表4周年わが民族大会に参加したユ・ヘスクさんは、「会えば言葉も通じるし、情もわき同族であることをあらためて感じる。同族であるのに別々に暮らす必要はないし、一つになれば私たちはさらに大きな力を発揮することができる。反米気運が高まったから統一気運が高まったのではなく、統一気運が高まったから反米気運が高まったのだ」と強調した。

 共同宣言発表後、南市民の対北意識は180度転換した。

 「こんにち、内外の複雑かつ緊迫した情勢は統一への道のりが決して順風満帆ではないということを示唆している。そんな時だからこそ、他国の眼を気にするのではなく自民族の優秀さを認識して力を合わせ、外部勢力の不当な圧力と干渉に民族共助で立ち向かっていくべきだ」(第13回閣僚級会談での金゚星北側団長の発言)

 民族の自主統一のための先軍政治。紆余曲折はあろうが、今の流れを誰にも止めることはできないということを実感した。(李松鶴記者)

[朝鮮新報 2004.7.22]