〈平安北道龍川郡−順調に進む復興〉 総連同胞の支援「最高のプレゼント」 |
【龍川発=金志永記者】 4月に起きた平安北道・龍川駅爆発事故で甚大な被害を受けた龍川小学校。同校に教育設備を贈る「総連北海道龍川被害支援代表団」に同行し4日、現地を訪れた。事故発生から3カ月以上が経ち、現地の復興事業も目に見える成果を上げている。建設ラッシュが続く龍川の人々の表情は明るかった。 再建、最終段階に
平安北道龍川郡までは平壌から車で約4時間。龍川郡に入ると「建設の街」の光景が広がる。各国から提供された救援テントと労働者が建てたテントが並び、道路沿いの売店では子どもたちがアイスキャンディーをほおばっている。 龍川郡人民委員会の関係者によると、住宅や公共施設の建設など復興事業は85%のレベルまで進んだ。現在、被災を免れた住宅で共同生活を送っている住民たちも近日中には新築アパートに入居できるという。 龍川復興の象徴である龍川小学校は、建物の外観と内部構造が基本的に完成した。 爆発事故によって最も大きな被害を受けたのが、線路沿いに建つ同校であった。教室が不足し、2部制で運営されていた同校では事故当時、3、4年生710人が授業中だった。爆発で校舎の最上階は崩壊し、54人の生徒と2人の教員が犠牲となった。新校舎は龍川邑の中心部に向かう幹線道路の入口に建設された。平壌を出発した一行が龍川邑に入り、最初に目にした新築建造物のひとつが小学校の新校舎であった。 「国家的プロジェクト」と位置付けられた新校舎建設の着工は5月9日。朝鮮人民軍の部隊が建設要員として投入された。外国や国際機関からも建設資財が支援された。約3カ月の短い期間で建設された新校舎は敷地面積5100u。4階建ての校舎には龍川小学校の全校生が同時に授業を受けられるだけの教室が備えられた。 生徒も建設支援
新校舎の前では、同校の生徒たちが「総連北海道支援代表団」の到着を待っていた。 何人かの顔には今も傷跡が残る。爆風で教室の窓ガラスが割れ、多くが負傷した。火傷を負った生徒もいる。サングラスをかけた生徒は視覚に障害が残ってしまったのだという。 龍川小学校は事故発生から3日後、郡内にある2つの中学校の教室を借りて授業を再開したが、克服しなければならない問題が数多くあった。教育設備、機材をすべて失った。多くの教員が入院治療を受けていたため代理教員も探さなければならなかった。 「子どもたちに対する精神面のケアも考えなければならなかった。事故の後遺症でしょうか、普段は何ら変わったところがないのに、急に大きな音を聞いたりすると恐怖を感じ怯えはじめる」 龍川小学校のチェ・ビョンリョプ校長(49)の説明によれば、心と体に傷を負った子どもたちに新たな希望を与えたのが新校舎建設のニュースであったという。小学生たちは授業を終えると新校舎の建設現場に集まった。小さな体で「軍人建設者」の作業の手伝いをした。龍川小学校は7月31日に1学期の教授過程を例年通り終えることができた。夏休み期間、生徒たちは午前中から建設現場に通い、軍人たちと一緒に汗を流している。 喜びの大合唱 北海道の同胞たちは2000万円の支援金で楽器や体育機材、放送設備、マイクロバスなどを送った。 9月1日に始まる2学期から、生徒たちは新校舎で勉強することになる。初日は新校舎竣工を記念する行事が行われる予定だ。生徒たちは全校生1250人による大合唱を披露する。 事故発生から約3カ月間、龍川小学校の教職員たちは、子どもたちの笑顔を取り戻すために努めてきた。サークル活動も中断なく続けた。しかし、音楽を奏でる楽器がなかった。 生徒たちにとって、総連の同胞が送った支援物資は「最高のプレゼント」であったようだ。寄贈式で謝辞を述べた4年生の女子生徒は龍川小学校全校生の気持ちを次のように代弁した。 「私たちは、みなさんが送ってくれた楽器を演奏し、龍川の子どもたちの喜びを力強く歌うことでしょう!」 新校舎竣工を目前に控えた教職員たちのスローガンは、「龍川小学校を朝鮮でトップクラスの学校にする」というものだ。チェ校長は「今回、送ってくれた教育設備は、わたしたちの目標達成に大きく寄与する貴重なサポートだ」と語り、代表団の同胞たちと固い握手を交わしていた。 [朝鮮新報 2004.8.17] |