平壌音楽舞踊大学専門部で朝高生を対象に通信制教育 |
朝鮮高級学校生徒を対象とした平壌音楽舞踊大学での通信制教育が今年15年目を迎えた。日本で学ぶ生徒たちに本場の芸術を肌で感じる機会を提供し、在日朝鮮人芸術家を数多く育ててきた同大学の専門部通信教育。今年も7月30日から8月23日にかけて、51人の受講生たちが平壌で「第2の学生生活」を送った。祖国での日々は、無限の可能性を秘めた若い才能を育み、かけがえのない貴重な体験をもたらしている。 芸術教育の最高峰
夏の暑い盛り、立っているだけで汗が噴き出してくる昼下がりの教室での実技授業。先生の叩くチャンゴのリズムに合わせて、カヤグムの音色が響き渡る。普段は無邪気な笑顔を見せる生徒たちの表情も真剣そのものだ。指の動きや顔の表情まで、手取り足取り教える講師の指導にも熱がこもる。休憩をはさんで続けられる授業はいっそう熱気を帯びてくる。 1949年3月1日に創立された平壌音楽舞踊大学は、朝鮮における高等音楽教育の最高峰。創立以来今日まで、朝鮮の音楽、舞踊分野のあまたの人材を輩出してきた。 在日朝鮮人生徒を対象とした同大学での短期技術講習は84年から行われてきたが、90年3月28日、金正日総書記の指導のもと新たに大学の専門部として体系的な正規通信教育へと生まれ変わった。 専門部は、厳しい審査を経て毎年15人ほどが入学を許される「狭き門」だ。卒業生は現在まで200人を超え、その多くは在日朝鮮人芸術界を担う中核として第一線で活躍している。 マンツーマン指導 綿密に編まれた3年間のカリキュラムに従い、受講生は高級部1年から3年間、毎年夏平壌を訪れ約4週間同大学で学ぶ。
専門部には声楽、民族器楽、舞踊の各コースがあり、主に専攻分野における理論と基礎技術を磨くことに重点がおかれている。各年度の課程履修後には通信簿が渡され、各自の長短所も細かく指摘される。 「専門部で学ぶ生徒たちは、日本で民族芸術を守り発展させ、在日朝鮮人芸術界の未来を担っていく貴重な存在」とリ・スンボム教務課長(58)は話す。リ教務課長は「生徒たちは自らの技術を高めるとともに、生活を通じて『祖国』を感じ、民族芸術を愛する『心』を磨いてほしい」と期待を込めて語った。 日本での部活動とは違う大学による専門教育に、学生たちも最初の頃はとまどいそうだが、大学の最高レベルの講師たちによる徹底したマンツーマン指導により実力は3年の間に飛躍的に向上するという。 声楽担当のチェ・クムフィ講師(61)は、20年にわたり在日朝鮮人生徒を教えてきた。「生徒たちは実の息子、娘のような存在」と語るチェ講師は、「子どもたちが短期間に大きく成長していく姿を間近で見られるということは、指導者としての大きな喜び。教え子たちの活躍を耳にする時が何よりうれしい」と目を細めた。 民族音楽伝えたい
19日、大学の講堂で卒業生たちの試験を兼ねた公演が行われ、生徒らの父母も日本から大勢駆けつけた。公演に臨んだ13期生14人は、培った実力をいかんなく発揮し訪れた関係者をわかせた。 神戸朝高の千由貴さん(3年生)と東京朝高の朴元植さん(3年生)は、専門部で3年間共に学び、今回晴れて卒業を迎えることになった。ともに朝高の舞踊部と民族管弦学部で主将を務めている。 元植さんの専攻は高音チョッテ。「練習は厳しいけど、その分たくさんのことを学べる専門部での生活は毎日が充実していて、自分にとっては貴重な経験だった。民族音楽のすばらしさを日本でも伝え、受け継いでいきたい」と力強く話した。 「独特のリズム、ほかには真似のできないオリジナリティー。舞踊には民族性が宿っている」と朝鮮舞踊の魅力について語る由貴さん。「踊ることが好き」という由貴さんは、学べば学ぶほど舞踊の楽しさ、奥の深さをあらためて感じるという。「朝大に入り、これからも舞踊を続けていきたい。世界を舞台に活躍することが目標。卒業したらまたここに来て学びたい」と目を輝かせた。【平壌発=李相英記者】 [朝鮮新報 2004.8.26] |