平安北道・龍川小学校、新校舎完成!−喜びにあふれる開校式 |
【龍川発=李相英記者】4月22日に発生した龍川駅爆発事故により、もっとも大きな被害を被った龍川小学校。国内各地をはじめ在日同胞らの支援によって、新校舎建設など復興事業が進められてきた。1日、完成した新校舎で復興する龍川を象徴するように盛大な開校式が行われた。生徒たちの顔には満面の笑みがあふれ、教科書を読む元気な声が新校舎に響き渡った。 「今日は名節」
開校式が行われた1日、明るいグリーンの新校舎が夏休みを終えて登校してきた生徒たちを迎える。ブルーやグリーン、赤などさまざまな色の新しいランドセルを背負って新しい制服に身を包んだ生徒たちは、新たに建設された母校でクラスメイトとまた一緒に勉強できることをとても喜んでいるようだった。 地上3階、地下1階の校舎には、コンピューター室、音楽室、図工室、図書室をはじめとする各種の多目的教室が設置された。1〜4年生までの30の教室には、コンピューターと放送施設が備えられており、地下には卓球室と体育館、衛生施設などがある。 この日、学校は生徒や父兄、関係者以外の市民たちにも開放された。同校の開校は事故発生後、復興建設にいそしんできた住民にとっても祝い事であるからだ。学校の入口で受付をしていた若い女性教師は、「今日は龍川の人たちにとって名節のようなもの」とほほ笑んだ。
道行く人々も新校舎を一目見ようと立ち止まり、中学校の生徒たちもうらやましそうに構内を見て回った。 「この校舎でもっと一生懸命勉強して、夢を叶えていきたい」 開校式で討論した同校の生徒であるキム・ヨンミさんは母キム・ミョンスクさんの手を握りながら、このように語った。 多くの人々の愛 開校式が終わると、生徒たちはそれぞれ自分たちの教室に入った。新校舎で迎えた初の授業には、父兄たちも参加した。
4年8組の教室では、自分の父母を探そうと生徒たちが振り向く。やや緊張していた彼らも、オモニの姿を見つけるとうれしそうにほほ笑んだ。 4カ月ぶりに母校で行われた授業。生徒たちはこの瞬間を待っていたかのように、大きな声で教科書を読んだり教師の質問に答えたりしていた。コンピューターをはじめ机、テレビ、黒板、学用品などすべてが新品。 「こんなにすばらしい施設が整った学校は、平壌にもそれほどないだろう」 チェ・ビョンリョプ校長は、新しく竣工した龍川小学校を「私たちの」学校と呼んだ。 「在日同胞たちの支援は、学校建設に大きな助けとなった。海外同胞だけではない。国内各地の人々と南の同胞、国際社会からの支援…。龍川小学校は彼らの力によって再建された。数えきれない人々の愛が込められた学校を、朝鮮で一番の学校にすることが生徒と教員の目標」とチェ校長は語った。 午後からはクラブ活動が始まった。同校はもともと卓球とサッカーが盛んなことで有名。新しい5台の卓球台と器材が備えられた卓球室では生徒たちが汗を流していた。生徒たちは「たくさん練習して一流の選手になる」と口をそろえた。 痛みを乗り越え 「第2の学校創立日」には、喪失の悲しみと試練を乗り越えた生徒と教員、そして父兄たちの4カ月の労苦が染みこんでいる。 昨日まで机を並べて一緒に勉強していたクラスメイトが、永遠に自分たちの元を離れていったことは幼い生徒たちにとってあまりにも衝撃的だった。
2年1組の担任であるチェ・チャンスクさんはこの間、生徒たちの不安定な精神状態を落ち着かせながら授業を進めることに全力を注いだという。 教員たちは、周辺の学校の空いている教室で授業を行い、負傷した生徒たちには病院や自宅で教えた。 クラス40人の生徒たちはみんな開校式に参加し授業を受けた。事故発生から50日間意識を失い、新義州と平壌で治療を受けていたパク・チョルチンくんもオモニと一緒に登校した。 オモニのチョン・クムシルさんは、「新校舎は、心と体に傷を負った子どもたちにその何倍、何十倍も幸福な学校生活を与えてくれるでしょう」とチョルチンくんを見つめながら語った。チョルチンくんも、「久しぶりに友だちと会えてうれしかった」と素直に感想を述べた。 秋を迎え、学校では遠足や運動会などさまざまなイベントを用意している。同時に、コンピューター室や図書室などまだ工事が一部残っている施設も一日も早く完成させる予定だ。 悲劇の象徴から復興の象徴へ―生徒たちの新たな学び舎である龍川小学校は、喪失の痛みを乗り越えた街の入口に誇らしげに建っている。 [朝鮮新報 2004.9.7] |