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咸鏡北道花台郡で渤海壁画古墳初めて発見

 【平壌発=姜イルク記者】今年9月初旬、社会科学院考古学研究グループにより、咸鏡北道花台郡錦城里で壁画古墳が発掘された。古墳の構造と遺物を調査した結果、渤海時代のものであることが判明した。東海岸一帯をはじめとする北部地域ではこれまで、多くの渤海時代の古墳が調査、発掘されてきたが、壁画古墳が発掘されたのは今回が初めて。国内のメディアはこぞってその意義を強調している。

意義強調するメディア

 他国では最近、朝鮮の民族史に対する誤った見方をする傾向がある。高句麗についてもそうだが、渤海についてはことさらだ。

 朝鮮では高句麗の地に建国された渤海(AD698〜926年)に対し、高句麗を継承した朝鮮中世期の主権国家と見ているが、ある国の研究者は「靺鞨族が建てた中国の隷属国家」だったという見解まで示している。

 渤海に対する周辺諸国の歴史観が一致しないのは、渤海の領土がこんにちの北部朝鮮と中国、ロシアの3カ国にまたがっているばかりでなく、長い年月の間に関連資料の多くがなくなってしまったことと関連している。

 今回、朝鮮の考古学者が初めて発見した渤海壁画古墳について、朝鮮のメディアは大きな意義を付与している。新聞は10月末、このニュースをいっせいに伝えながら、「朝鮮の中世歴史の堂々たる主権国家であった『海東盛国』渤海の文化的優秀性と独自性を示すもので、わが人民の民族的誇りと自負心を高める貴重な成果となる」と強調した。その後も、渤海壁画古墳に関する解説記事や遺物の紹介とともに、渤海史と関連した記事も多く掲載している。

北部一帯の発掘も

 研究者らはこれまで、渤海史について中国で発見された遺跡や遺物を通した間接的な研究も進めてきたが、今回渤海壁画古墳が発見されたことにより、独自の研究を深めることができるようになった。

 渤海壁画古墳の第1発見者であるチェ・ウンソン研究士は、発掘された遺跡や遺物は渤海の歴史と文化を科学的に解明するうえで貴重な資料になると強調した。

 とくに、古墳から渤海時代の人物や風俗、装飾模様などが描かれた壁画が発見されたことで、高句麗時代の壁画をそのまま発展させた渤海文化の様相をさらに詳しく確証できるようになったと語った。

 また、北と南、海外の歴史考古学界の関心が集まり、民族の歴史を内外に広く紹介、宣伝できる重要な資料になると指摘した。

 古墳から発掘された数十点の遺物は現在、社会科学院考古学研究所に保管され、修復作業を終えると同時に研究に取り組むという。

 民族史を体系的に定立するためには、渤海史の解明がとても重要な位置を占めている。考古学者らはすでにこの研究に力を注いでおり、朝鮮の北部東海岸一帯で多くの遺跡を発掘してきた。

 咸鏡南道北清郡では青海土城を発見し、渤海5京(全国15の府の中でもとくに重要な府を指す)の一つである南京南海府の位置を確定。咸鏡北道清津市からは、王陵と思われる古墳と古墳群も発見された。

 同時に、論文も多く発表されている。とくに90年代にはこれらをまとめた論文集が発行された。「渤海史研究」(1〜7巻)、「渤海史研究論文集」(1、2巻)、「東海岸一帯の渤海遺跡に対する研究」「渤海古墳研究」などである。

 社会科学院考古学研究チームは、東海岸一帯に対する発掘を行う一方、両江道、慈江道、平安北道一帯に対する発掘も本格的に行うという。

 また、ロシアとの共同発掘事業も日程にのぼっていると、チェ研究士は明らかにした。

硯、青銅の装飾品も

 社会科学院考古学研究所のチェ・ウンソン研究士から現在、研究所に保管されている遺物に対する解説を聞いた。彼がまず紹介したのは硯。古墳からは2個分の硯の破片が出土され、そのうちの一つは復元された。

 渤海時代の硯が国内で発掘されたのは初めて。渤海の首都だった上京龍泉府から出土したものと大きさや形がうり二つだという。とくに中央に開けられた穴が桃の形をしているなどの特徴も同じだという。

 また、今回の発掘で注目を集めているのが壁画である。

 チェ研究士によると、壁面には人物風俗画が多く描かれていたが、破損状態がひどいという。

 東西、北の壁面にはそれぞれ黒をベースに赤、青、茶、白などでさまざまな絵が描かれていた。現存するのは、北の壁面下部に描かれた白い脚絆に黒い靴を履いた人の足の部分(高さ45センチ、幅63センチ)などごく一部だ。その中でも形態を確認できるのは「蓮花の上の神仙」。

 そのほかにも塗金された青銅製の装飾品も出土した。これも国内では初めて発掘された。これらは主に宝箱用の装飾品で、当時の加工技術のレベルの高さを示している。

 古墳から発掘された遺物は渤海時代の遺物と同じ形態であり、古墳の構造も同時代のものだ。

 そのため朝鮮考古学学会ではこの古墳を渤海時代のものと判断、国内で初めての渤海壁画古墳として確証した。

[朝鮮新報 2004.12.6]