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高麗人参余話(25)−対外貿易

 開城(開京)は朝鮮半島で初めての統一国家を打ち立てた高麗(918〜1392)の首都であり、当時の政治、経済、文化の中心地であった。現在、38度線のすぐ北に位置し、街からはソウルの三角山が見渡せる軍事境界線の都市であり、世界最高の高麗人蔘の原産地でもある。朝鮮半島の中西部の低い地帯に位置して、平壌からは高速道路で南に160キロ、板門店まで8キロ、ソウルに60キロの距離である。女性が横たわったような母なる山、松岳山(489メートル)やその子どもの山、子男山(104メートル)、妙智山(765メートル)、国史峰(153メートル)、大概山(592メートル)に囲まれている。開城の近隣には天下の名勝、朴淵瀑布(高さ37メートル、幅1.5メートル)や古跡・陽書院、史跡・高麗の太祖、王建陵や恭愍王陵、大興山城、天台宗の本山・霊通寺、安和寺等がある。朝鮮戦争で爆撃を免れたたたずまいは今も古都の面影を色濃くしのばせている。

 高麗末、高麗朝廷は明が元の直属領であった鉄嶺以北の土地を支配すると通報してきたのに対して遼東に軍隊を向けた。しかし軍隊を威化島で引き返した李成桂(朝鮮王朝太祖)により政権を転覆され高麗は滅亡、国号は朝鮮と改められ、首都は漢陽(ソウル)に移された。

 高麗の首都開城で活躍した商団・松房は全国的な組織網を活用して朝鮮時代にもその勢力を保持、人蔘栽培と対外貿易の主導権を確保し莫大な利益を上げていた。当時の人蔘は今で言う半導体ほどの需要と価値があり経済に大きく貢献していたのである。17世紀中葉、京商(ソウルの商団)と共に人蔘商人として朝鮮商業界に君臨した松房は中国から日本への仲介貿易も握っていたので朝鮮人蔘が開城人蔘として認識されるようになった。(洪南基、神奈川大学理学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2004.1.8]