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朝鮮の食を科学する〈23〉−正月の膳に欠かせぬ「助気」

 旧暦の正月。その食卓になじみのある魚類をいくつか取り上げてみたい。

助気(いしもち)

 いしもち(ぐち)も朝鮮の魚料理の中では、ポピュラーなもので、おいしい魚のひとつである。とくに南部地方では有名である。

 昔から冠婚葬祭の膳には必須品として数えられるのみでなく、一般の料理にもよく使われるものである。

 とくに西海(黄海)でとれるのは昔から有名で、数々のエピソードを生み出している。

 種類が多く、朝鮮近海だけでも11種が知られているが、中でも黄色の黄助気が味の点では一番とされている。

 @名の由来

 助気は曹気、朝起とも表わされ、石首魚とも表記される。
 人の元気が旺盛になるように助けてくれるとの意味である。だから、病気にかかった時などは、この魚のスープを家庭の主婦たちは準備する。食べると回復が早いと言われているからだ。
 また、老人や幼児用にいしもちのお粥が作られるのもこの魚の効用≠ェ、昔から言い伝えられているからである。
 いしもちは回遊魚で、朝鮮の西海には春と秋の2回、回遊グループが接近する。このうち春の産卵を目的とするいしもちを上とし、各種の加工品も作る。

 Aいしもちの薫製「仇非」

 古くから愛食された薫製品の全羅道名物の「仇非」について触れておこう。
 この食べ物はいしもちが大量に産する霊光(全羅道)の名産品であった。魚が水揚げされた海辺で作られる。
 いく本かの柱を斜めに組み合わせて、その内側に魚をつり下げて、下からは炭火であおり、海辺の風の力で乾燥させる。薫乾法の一種である。身をひきちぎるようにして食べるが、産卵期の卵を抱いたものの味はまた格別だとされる。いまは人工的に乾燥させて作られている。
 この食べ物が「仇非」と名付けられたエピソードがある。
 高麗時代の重臣、李資謙は謀反のかどでソウルから遠くはなれた全羅道の静州(今の霊光)へ流される。いしもちのたくさんとれる所で、はじめていしもち薫製ものの味を知ることとなる。開城の都にいる時には味わったことのないものであった。
 こんなにおいしい魚の味も知らず、政権争いに憂き身をやつしていたことがばかばかしく思えてならない。
 そこで薫製品を都に進上することにし、その品に「静州屈非」という字をつけた。
 無実の罪で流されては来ているが、自分は非に屈することなく、大自然の中でおいしいものを食べながら、悠々自適で暮らしていることを知らしめたかったのである。
 やがて、このいしもちの薫製品は、開城の都で名を高らしめることになる。「屈非」と同じ発音の「仇非」に変わり、静州の地名が霊光に変わり、今では「霊光非」としてその伝統が引き継がれ、韓国の観光土産品のひとつにもなっている。

たちうお

 カルチと呼ぶ。カルは太刀つまり太刀魚である。

 昔は南海でよく獲れた。

 「茲山魚譜」などの文献には、裾帯魚、葛魚などと記されているが、古くから多く産されたうえにうろこがないので安値の魚であった。だが味がよいので庶民の人気は高く、金をおしむなら太刀魚を食べろ≠ニか、安くておいしいのは太刀魚のおかず≠ニの諺がある。

 焼き物、煮物によく食べられ、新鮮なのは膾のさしみにも使われる。ソウル名物は、煮付けのカルチチョリムである。いまは高い。

いか、たこ類

 いかのことを烏賊魚と呼ぶ。東海岸地方でよく獲れ、各種料理に広く使われ、新鮮なものを細かく刻んだ「オジンオクッス」(いかうどん)は地元の名物料理となっている。日本にもまったく同じものがあるが、ルーツとしてつながるのか、いか料理としてありふれたものであるためなのか、いずれにしてもおもしろい。

 朝鮮でよく獲れる手ながだこ(낙지)が、このいか料理と似たものによく使われる。在日同胞の一部で、このナッチのことをいかとまちがって受け止めている人たちがいる。いかをナッチと呼んでいるが、これはまちがいである。

 いかの烏賊魚は足が10本、手ながだこのナッチは足が8本である。

 同じく足が8本の大きなたこを文魚と呼ぶ。

 なかなか品のある名が付けられているたこは、食膳にのせられる時も高級魚扱いで、冠婚葬祭、正月料理には欠かせない。

えび、かに類

 各種のえびが料理によく使われる。小さなおきあみの類は西海でよく獲れ、古くから糠蝦、細蝦と呼ばれ、塩辛の材料となった。干ものは白蝦と呼んだ。

 大きなえびは大蝦または海蝦とも呼び、さしみの膾、スープの具に用いたし、古くは干ものを作って、酒の肴に用いていた。

 朝鮮語で、えびはセウと呼び、南部の日本に近い所では、方言でセビ(SEBI)と呼ぶ。日本語のエビ(EBI)は、朝鮮語のSが欠落したもので、呼び名のルーツは朝鮮であると見てよい。

 各種のかにを各様の料理法で食べる。俗に9月にはメス蟹10月はオス蟹≠ニ言われる。9月のメスがには、腹にいっぱいの卵を抱いており、10月のオスがには身がのっていることの意味である。また、メスがにを膏蟹、オスがにを肉蟹とも呼ぶ。

 また、まつばがにのよく獲れる地方では、「月末の蟹」、「月半ばの蟹」という区分がなされている。

 かには月の欠ける月末には身が詰まり、満月の中旬前後に身が抜ける。ために「月末の蟹」と「月半ばの蟹」との重さと大きさに差がみられ、値段も違ってくる。

 諺にあいつは月半ばの蟹だ≠ニいうのがあり、中身のない人間のことを指す。

 各種料理の材料になるが、とりわけ塩辛には多様に用いられるのが特徴である。(鄭大聲、滋賀県立大学教授)

[朝鮮新報 2004.1.23]