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山あいの村から−農と食を考える(16)

ドブロク造る楽しさを

 正月、といっても山あいのこの村はまったく静かだ。酒に酔って歩く人の姿も見られないし、羽子板で遊ぶ子どもたちも見られない。息子や孫たちが来ても一泊しただけでさっさと帰っていく。みんな忙しい世の中のようだ。

 「ようだ」というのは、そうした勤め人たちの生活を私は知らないからだ。みるにそれは、仕事の方だけでなく、年末年始にしたいし、しなければならないことがたくさんあるからのようだ。たとえば子どもたちをスキーに連れて行くとか、ディズニーランドのような遊び場や百貨店に行って遊ぶことや、さらにまた上司に顔を出すことなどさまざまである。

 わが家にも3人の孫が居るけれど、大晦日に一泊しただけで帰ってしまった。元日の夜には、母親の実家に行くことになっているからとのことだ。親も子もじっと休む時間などないみたいだ。

 私が子どもの頃は、農家の嫁は子どもを3人も4人も連れて実家に行き、1週間ぐらい泊まっていたものだ。それが1人の娘だけでないものだから総勢十数人にもなる。寝るときには、布団が足りないものだから、コタツの周りに敷布団を横に敷き、ぎっしり詰まって寝たものだ。それがまた、つらいのではなく楽しかった。同じ釜の飯を食べ、肌身に触れることで血のつながりを実感し、親族としての共同生活が体験ができたからである。「裸のつきあい」などというのがこうした子どもの生活のなかにもあったのである。

 正月といえば、振る舞うごちそうは餅と甘酒だった。焼き餅にして、それを熱湯に入れてやわらかくし、納豆餅にしたり、雑煮に入れて客に出す。とりわけ、私にはドブロクの印象が深い。昭和10年生まれの私は、物心がついた頃には戦争だった。だから食べ物はもちろん、衣類や、履き物まですべてのものが「配給」とかいわれていて自由に買えなかった。酒だってもちろんそうである。それで農家はみんなドブロクを作って飲んだ。みんな、といってもそれは男たちのことだが。ことのほか私の祖父は酒好きで飲まずにおれない人だった。だからそのことのために祖母が苦労をしていたことを私は子どもながらに見ていたし、感じてもいた。酒を飲まずにいるとお腹が痛くなるのだ。飲み過ぎて痛くなるのではなく、飲まずにいると痛むというのだからその原因も理由もわからない。そして飲むと治るのだ。胃潰瘍でもなかったし、ガンでもない。さればとて胆嚢炎をおこすのでもないようだった。不思議なお腹だった。だから祖母は米がないときには、粟をたいてドブロクを造って飲ませた。

 ドブロクがプツリプツリと沸き始める。その頃が子どもの私には最高にうまかった。甘酒の甘味とは違う麹の格別な甘い旨みがある。私は人の居ない時を見はからい何度もそれを盗み飲みした。こうしたほんものの米のおいしさを今の子どもたちはまったく知らない。

 わが家には小学2年になる孫と、4歳の孫、それに2歳の孫と、3人いるが、来るたびに店から買った棒ジュースとか、アイスクリームなどを妻にせがむ。持ってこないと冷蔵庫に行って勝手に持ち出してきてかじる。私はよくもこんなものを、と思うのだが、孫たちはそれをすごく「うまい」と言う。すっかりそうしたインスタント化したものに慣れてしまっているのである。

 正月も来る人ごとに不況の話をする。それを耳にしながら、私は意地が悪いと承知のうえで、「そんなに不況なんですか?」と問いただす。私には景気のよさを実感したことなど一度もないから、不況の実感もまだないのである。

 物も金もない時には、ドブロクを飲む暮らしを考え、それをしてきたし、綿のないときには藁布団に寝て生きてきた。だから、それから見れば、まだまだ今の不況なんて贅沢三昧だとしか思えない。子どもたちにはジュースを与え、アイスクリームを食べさせていて、残りごはんで甘酒をつくる、などといった工夫などまったくない。

 そうだ、池田内閣の所得倍増以来、日本人の暮らしはすっかり分業化され「自分の味」も、「自分の暮らし」も失ってしまったのだ。そして食べる物はみんなできているものを買うのが当たり前と考えて、自分でつくることを忘れてしまっている。酒も「ノミヤ」で飲むのでなければ「ノム」と言わない。だから不況になって金がなければ困るのだ。そんな時私は改めて昔のドブロクを思い出す。その頃はそれを密造酒といっていた。が今は醸造法が変わって自分で飲む酒をつくるのは法に触れなくなった。だからノミヤで飲む酒は、3回を1回に減らし家で造ったドブロクを飲めばいい。そしてドブロクにはその人の味がある。一戸いっこ、さらには個々、造る人によってみんなその味も香も違う。そしてそれを競う共進会でもやれば楽しみがまた一つ増える。飲む楽しさにプラスして、造る楽しさ、それこそが人間のほんものの生き甲斐である創造あるくらしではないか。今年はそれをする。(佐藤藤三郎、農民作家)

[朝鮮新報 2004.1.30]