高麗人参余話(29)−近代の栽培 |
人蔘を農業的に栽培できるようになったことは、人類にとって大変喜ばしいことであるが、その道のりは長く苦労に満ちたものでった。現在、人蔘はざっと見て「韓国」で2000トン、中国では4000トン以上、日本でも100トンが生産されている。共和国の生産高については、はっきりつかめていない。北では開城地域の周辺、南では忠南・錦山地方、慶北・豊基地方をはじめ、ほぼ全国各地で生産されている。中国では東北部・吉林省はじめ遼寧省、黒龍江省の3地域が主な生産地であり、日本では島根県大根島、福島県会津地方、長野県が生産地である。 「韓国」の場合、人蔘は農林漁業全体の生産額の1.5%以上を、そしてすべての農畜産物輸出金額の12%以上を占めていて、「韓国」の農村経済に大きく寄与している主要作物のひとつである。また高齢者、女性の労働力を活用出来る点や限界農地を利用できる点でも人蔘は有望な作物である。 日本でも明治7年(1874)頃、人蔘は貿易品としてすでに非常に高い地位を築いた。当時の輸出総額1878万円のうち、14万円を占めて第13位に入っている。最高はお茶の719万円、ついで生糸の530万円、つづいて米、たばこ、蚕卵紙、魚類、銅、こんぶ、蛹、漆器、木鑞などが上位にあるが、その頃の輸出品目が90種類程度であったことを考えれば、人蔘が国家貿易全体としてきわめて重要な地位を占めていたことがわかる。明治9年(1876)に日本の軍艦「雲揚号」に威嚇されながら結んだ不平等条約である「江華島条約」により、日本の朝鮮侵略は本格化するが、それに伴い明治12年(1879)には、人蔘史上最高の輸出量を記録して金額にしても20万円近くにのぼった。(洪南基、神奈川大学理学部非常勤講師) [朝鮮新報 2004.2.6] |