高麗人参余話(30)−栽培技術 |
陶弘景(梁の医学者、452〜536年)の書いた中国最古の薬学書「神農本草経集 名医別録」には、三椏五葉 背陽向陰 欲来求我 椴樹相尋(3つの枝に五つの葉 陽に背を向け陰に立つ 我を求めに来るなら シラカンバの木陰に来たれ)と記載されていて人蔘の特徴が見事に表現されている。 ウリナラでも徐有(ソユグ、1764〜1845年)が著述した林園十六誌には「人蔘は水を好むが過度の湿気は嫌う。直射日光を嫌い、茂みの枝や葉から差し込む日光を最も好む。人蔘の芽が出る土は風通しがよく冷気がありながらも乾燥してなければならない。土壌は肥沃で水分を含み、堆肥としては深山にある落葉の腐植土が最適であり、田畑の汚れた土は使ってはならない」と書かれている。 これらの特徴を活かして栽培技術が発展してきた。 私は福島県会津地方で稲の育つ田んぼの中に広がる黒い布(寒冷紗)で覆われた人蔘畑を見つけて、その中に何度か入ってみたがテントのような覆いの中は不思議なくらい気持ちのよい空間であった。寒冷紗で覆うのは人蔘が半陰地性の多年生草本であるからだ。ちょうど、初夏の日差しの一番強い正午頃であったが畑はしっかり陰になって直射日光は葉っぱに直接あたらないようになっていた。しかし、畑の中はとても明るくて地の精が立ち込めているような感じがした。土地の人によると人蔘畑で仕事をするお百姓さんはかぜを引かないという。人蔘の埋もれている畦は地表から50センチ程度高く土が盛られていて水はけがよくできるようになっている。そして人蔘畑は温室とちがい風通しがよい構造になっているのだ。昔の人が指摘した人蔘の特徴に沿った栽培方式である。(洪南基、神奈川大学理学部非常勤講師) [朝鮮新報 2004.2.16] |