朝鮮の食を科学する〈25〉−食は生命を支える民族の知恵 |
2002年3月から始めて25回、ちょうど2年を数えるに至った。民族の食べ物の科学と文化を取り上げたつもりだが、力不足で十分に書き尽くせなかったという念が残る。 食べ物は、人の命を支えるもの、従って人は常に自分の命を守り、健康な生活をするために「食べる生活」に「知恵を働かす」。 その知恵がわが朝鮮民族の食べ物に、どのように見られるのかを読者に知ってもらいたかった。 私のような世代は、幼いときから日本の社会で食べ物の「差別」を体験している。ニンニク、トウガラシは差別の代名詞ですらあった。いまもそれがなくなったとは言えないだろう。 しかし、いかなる民族、地域のどんな食べ物にも、それなりの知恵が込められているし、あるからこそ食べ続けられている。 そのような角度から、自分のものはもちろん、他の人の食べているものを見る目も必要なのである。連載を読んでくださった皆様には、ぜひそのような「食べ物観」を持ち続けてほしい。 中華料理を凌駕する勢い 連載途中に多くの方から問い合わせや、激励の連絡をいただき、改めてこの連載の企画の生命力を感じた。十分に対応できなかったことが悔やまれるが、この場を借りてお礼申し上げたい。 なかでも、ある大手の出版社からは出版の依頼を受けた。もちろん筆者の著書を知ってはおいでだが、朝鮮新報を読んでの話である。 お会いして話を伺ったときに驚いたひと言は、「いまや日本の外食産業で中華料理店を凌駕する勢いを持って広がる朝鮮・韓国料理について、その理由が分かるように、朝鮮新報のようなタッチで本を書いてほしい」という表現に接したことだった。 昨年の秋である。 筆者は、はっと胸をつかれる℃vいであった。自分が日常に民族の食べ物なるものがいかに日本に根をおろしているかについては、興味深く、うれしくも思いながら見てきたつもりではあった。しかし「中華料理を追い越した存在」とは意識していなかった。 このひと言で力が湧いてきた。このときちょうど「焼肉・キムチと日本人」(鄭大聲著 PHP新書、2004年1月刊)を書き上げて、原稿の詰めをしているところだった。 この書では、焼肉やキムチがいかに多くの人に好まれているかについては、それなりに記述している。しかし、それが同じ外食産業の中華料理や他の地域の料理店と比較して考えてみるということには、気づかなかった。というよりも、ほとんど「無視」していた。 朝鮮・韓国料理ばかりに視点が集まっていたわけで、視野が狭いといわれても仕方がないことと思える。 快調に消費伸ばすキムチ 焼肉店はいま、日本の外食産業のトップランナーの位置を走っている。BSE、鶏インフルエンザの問題で多少の曲折はあるかも知れないが、既存の地位はゆるがないだろう。 キムチは快調にその消費を伸ばしつづけている。そしてこれらは、日本の食生活そのものとなっている。それを強調したわけだった。 しかし、それをもっと掘り下げてほしいというのが大手出版社の執筆依頼である。 朝鮮新報での連載が縁で、もう1冊の本に取り組まねばならなくなったわけである。 いま、私はそれについて、考えをめぐらしているが、どのような切り口で取り上げたらよいか、焦点が定まらない。 読者へのお願い 読者の皆様に「力」をお借りしたいと思っています。朝鮮、韓国料理が日本の外食産業の中でも、他の料理類よりも好まれ、広がる理由はなんだと思いますか? ご意見を寄せていただければうれしいです。 ただ「おいしい」からというのでは、答えにはならない。もう少し突っ込んだところで納得できる具体的な説明をしたいのです。 日頃、お気づきの点があれば、ぜひ朝鮮新報社宛で結構です。どんどんお考えをお寄せください。夏頃に本にまとめられるときには、活用してみたいと思います。 滋賀県立大学人間文化学部をこの3月で退官いたします。 2年間、読んでいただいた読者の皆様、ありがとうございました。(鄭大聲、滋賀県立大学教授) [朝鮮新報 2004.3.5] |