大阪市天王寺区の統国寺「大雄殿」、市の指定文化財に |
在日本朝鮮仏教徒協会傘下の寺院、和気山統国寺の「大雄殿(本堂)」(大阪市天王寺区)が昨年12月、大阪市の指定文化財となった。大阪市教育委員会が定めた計16件のうちの1件。市教委は、「類例の少ない黄檗宗の建築様式の代表的な仏殿で、極めて重要な遺構」と判断した。指定文化財になると、市教委からの援助もあり、よりいっそうの寺の保存や整備などが見込まれる。崔無碍住職は、「天王寺区では有名な観光地。今回の指定により今後はもっとたくさんの人が訪れるだろう。歴史あるこの寺を文化と友好の拠点にしていきたい」と語る。 聖徳太子が創建
統国寺は釈迦三尊を本尊とする在日コリアンの寺。新羅の僧、元暁にならい、日本の13宗のどれにも属さない単独寺院だ。 統国寺は聖徳太子の創建になる名刹で、602年に来日した百済僧の観勒が開山住持として招かれたことから、「百済古念仏寺」と命名された。 崔住職は、「歴史的にも考古学の面からも百済と日本の間に深い関係があったことを証明する寺だ」と語る。 同寺の言い伝えでは、1615年「大坂夏の陣」の際に寺の一部が焼失し、70余年後に再興されたといわれる。その後は日本の寺院として継承される日々が続いたが、衰退著しかった。 1970年、在日本朝鮮仏教徒協会傘下に入り、初代・金星海住職が寺を引き継いだ。統国寺と改名し再復興された。 同寺では朝鮮仏教儀礼と朝鮮の伝統ある儀式を行っており、納骨堂には同胞たちのたくさんの遺骨とともに、強制連行、強制労働で亡くなった人や朝鮮人殉難者たちの遺骨が奉安されている。また、在日同胞の民族精神顕揚の場として、大阪地区の象徴的役割を果たすために活動を行っている。 由来の調査が契機 崔住職は同寺住職を務めるかたわら、在日本朝鮮宗教人連合会理事、在日本朝鮮仏教徒協会総務部長でもある。朝鮮大学校政治経済学部を卒業後は、30代前半まで朝鮮高級学校の教員を務めた。 3代目の徐泰植住職(故人)から「百済古念仏寺の由来を調べてみてはどうか」と言われたのが仏門に入るきっかけだった。 寺院についての調査を2年間続ける過程で、さまざまな事実を目の当たりにする。その一つが徐住職から差し出された1枚の「喜捨文」だった。何者かによって無残にもえぐりとられていたが、3カ所すべてが「出自」に関する部分だった。X線調査の結果、出自が金氏とわかった。これを見た時、「なんとも言い表せない怒りを覚えた」。 2年間の調査記録をまとめた「百済寺古念仏寺の謎を解く」を刊行。そんな因縁もあってか、88年に同寺に入し、94年に4代目住職に就任した。 「心洗うお風呂に」
「この寺を心を洗うお風呂にしたい。心のふるさとにしてほしい」と崔住職は語る。 「現代社会は心の病める人が多い」と崔住職が言うように、家庭内の問題、相続、登校拒否など寺に持ち込まれる相談はさまざまだ。 「気軽にいつでも来てくれればいい。長く付き合って話を聞くことが大事ですから」 統国寺では新羅の僧、元暁について学習する「元暁会」を毎月開いている。元暁の教えの通り、民族、性別、宗教を問わず参加は自由。さまざまなテーマで人生について語り合う。 「元暁の思想は朝鮮仏教だけでなく、中国や日本仏教にも大きな影響を与えた。その教えを学ぶことが新しい世紀にはとても大切な事」 95年の阪神大震災から100日目には、同寺で在日本朝鮮仏教徒協会と在日本韓民族仏教徒連合会による合同祈祷会が行われた。また、祖国解放50周年にあたっては、北南朝鮮から僧侶を招き統一祈祷会が、00年には6.15北南共同宣言を支持する合同法要も行われた。 同寺には、日本一の念珠が奉安されており、兄弟念珠が岐阜県洞戸村の円空記念館、徳島県神山大粟神社、南朝鮮の雉岳山観音寺(江原道)にある。 現在、世界一大きい念珠とその2番目が、南の観音寺に安置されている。今後、世界一の念珠が38度線を越え、朝鮮の妙香山普賢寺に安置される予定だ。 「『和する』ということは互いの違いを認め合うということ。ウリナラも南も日本も和合しなければ。祖国統一、朝・日友好を願い、これからもこの寺を守っていきたい」(崔住職)(金明c記者) [朝鮮新報 2004.3.13] |