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〈もうひとつの在日文学〉 元ハンセン病患者、金夏日氏の歌

 昨年の暮れ、群馬の朝鮮同胞たちによる歳末助け合いの一助として朝鮮のハチミツセットとカレンダーを持って16人の同胞元ハンセン病患者がいる草津栗生楽泉園に行った。草津は日本有数の温泉地であり、そこでの出会いと私の心に刻まれた感動と衝撃を、いつか在日同胞史の1ページとして残そうと思っているが、ここでは在日歌人―金夏日氏の歌集「機を織る音」(2003年発行)の中の短歌を織り交ぜながら「もうひとつの在日文学」を紹介させていただきたい。

 金氏は失明の上、手指の運動麻痺と共に第2の目である皮膚知覚が麻痺しながらも点字を舌読で学び、歌集「無窮花」、「黄土」、随筆集「点字と共に」(1991年群馬県文学賞受賞)を出版された驚異と奇跡の歌人である。

 純白のチマチョゴリ着る亡き母をこのごろ時折夢に見るなり

 1926年慶尚北道の貧農に生まれ、39年に来日し、ハンセン病を発症、植民地民族の悲しみと共に筆舌に尽くし難い苦労の人生を送ってこられた金氏は、時代に翻弄され、歴史に打ちのめされながら生きてきた。彼にとっての歳月とは何だったのだろうか。

 漢江の清き流れに渡り来る白鳥にあうも楽しみにして
 われ歌う「われらの願い統一」と声高らかに歌いつつゆく

 また、歴史の生き証人として

 侵略はなかったなどと議員達うそぶく発言またも出てくる
 大国の思いのままに南北に引き裂かれたる祖国を想う

 歌人は鋭い感性と洞察をもって

 北からのスパイ逮捕を報じおり今度もやはり選挙の時に
 北側も資本主義国と次々と国交結び大きく変わる

 と歌い、南北首脳会談に胸躍らせながら

 金正日国防委員長の第一声はまだきかぬなりいかなる声か
 いろいろと伝えたるイメージとは大きく違いお声がやさし

 と、純粋に人間として捉えるのである。

 人間の温かさは心に宿るものである。

 北関東朝鮮歌舞団迎えんと雪しきり舞う道に立ちたり
 在日の朝鮮人多く診てきしと女医の語れば親しさ覚ゆ

 そして、金氏は高らかに歌う。

 わが祖国平和統一なるまでは死ねぬと思う生きたく思う

 朝鮮民族の朽ち果てぬエネルギーを感じるのは私だけであろうか? そして、豊かな人間性と、生きるとは何かという斬新な哲学的思いを交差させる源は何なのだろうか。今まで読んだ文芸作品とは読後感が明らかに違う。歌集を何度か読み返しているとき、ふと「源は在日だから感じるものではないか、在日魂だ。自分に宿っているであろうちっぽけな在日魂を掴んで激しく揺らすのだ」と考えるに至ったのである。

 私はここで作品の芸術性、思想性などを具体的に論じようとは思わない。金氏の歌はそのような「型」では論じられないからである。

 祖国朝鮮を奪われ、心ならずも日本に来てハンセン病にかかった金氏の歌には、想像を絶する苦難の道を乗り越えた人間の力強い精神性が脈打つ。そこに所属国籍など問うて何の意味があろうか。

 事実、彼の詩に対する批評の中には、南北どちら側に立っているのか、思想は、など不毛な議論が一部にあったと聞いている。まして日本固有定型詩―短歌である。南で金氏の歌の一部が翻訳されてはいるものの、ここで私が紹介した歌などは埋没されているのが現状である。そこにはすでに客観性はない。長い間、身の毛もよだつような抑圧と取り締まり、隔離政策に怯える日々を送った金氏。その苦難の半生を支えた歌の根本にあるのは、民族への深い愛そのものであることをこの歌は語っている。

 私たち在日朝鮮文学人には「もうひとつの在日文学」を探し出し、幅広く捉えながら新たな照明をあてる使命があるのではないだろうか。ちなみに「ハンセン病文学全集(全10巻)」(皓星社)には、在日の香山末子(日本名)という今は亡き朝鮮女性の歌などが少なからず存在することを記しておく。在日歌人―金夏日氏に贈る心をこめた自作の短歌を添えて結びとしたい。

 歌に我心に響く感動よりも余白の余韻に月日を想う(朴浩烈、群馬県在住、文芸同盟員)

[朝鮮新報 2004.3.15]