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朝鮮文学評価の変化〈上〉

 ここ10余年間に、朝鮮文学の評価において大きな変化が見られる。朝鮮近・現代文学の作家と作品の評価において、また文学史の叙述(分析の方向と方法など)においてである。

 在中国の朝鮮文学研究者であるフォホイルも、1992年「朝鮮学研究」誌(第4巻、延辺大学出版社)で、在来は「文学自体の特性にもとづいた美学的、歴史的研究よりも、多くは社会学的分析研究に偏した傾向にあった」と述べている。

 作家、作品評価において、時代と社会から離れての、文学作品の「純芸術的」技巧だとか表現方法ばかり究めようとする芸術至上主義的傾向をただしながらも、また一方で作品と社会生活をただ機械的に結びつけた低俗な社会学的追究による「題材決定論」、「主題先行論」、「本質表現論」といったたぐいもたださなければならないというわけだ。つまり在来の左傾的傾向を是正し、同時に右傾的傾向にかたよらず、総合的に正しく深く究めようという論である。まったく至当な主張である。

 で、「美学的、歴史的」批評とは何か?

 それは、作家、作品を評価するにさいして、既成の理念や観念から出発するのではなく、作家、作品の形象的実質価値、具体的な歴史的関係の中での実質価値(役割)から出発すべきだということを意味し、作家、作品を歴史的な状況の中で具体的にその内容と形式の肯定面、否定面を総合的に分析、評価すべきだということを意味するとしている。

 そもそも文学形象は、生活の反映であると同時に、作家の芸術的眼目による生活の再創造であり、その意味で芸術的形象は作家の美学的心理構造の産物であるといえる。こうした芸術的側面と、社会、思想的側面の両面を総合的に究めようという、これが妥当な批評原則であるはずだ。

 従来、朝鮮では解放前文学においてプロレタリア文学以外は批判的リアリズム作家として羅稲香、金素月のほか玄鎮健、李益相、゙雲、金水山らが認められ、ブルジョア文学(自然主義文学)は理念において反動的であるとして、いっさい否定、無視されてきた。

 ところが1984年、金正日総書記の指摘があり、「反動」うんぬんと決めつけられた作家に対する政治的評価以前に、作品そのものの文学(美学)的、歴史的評価を重んずる方向が打ち出された。

 そして1986年、殷鐘燮教授の著作「朝鮮近代および解放前現代小説史研究1、2」が出た。ここで李光洙の1910年代の小説「開拓者」、「無情」などが制約性をふくみながらも肯定的に評価され、沈熏の「常緑樹」、韓竜雲の「黒風」、玄鎮健の「無影塔」、「黒歯常之」などの長編小説もはじめて具体的に取り上げられた。その後1991年、金日成総合大学の教科書「近代現代文学史」では、詩人の鄭芝溶、尹東柱の作品も、その文学的価値、文学史的位置や意義などに触れて、解放後はじめて紹介された。

 1984年金正日総書記の指摘などが著作として出された「主体文学論」(1992)に、こんな一節がある。

 「文学作品は、たとえ個人の創作物ではあっても、いったん時代の要求と人民の志向に合ったすぐれた作品として創作され人民に愛されれば、それは人民の所有物に、民族の貴重な財富となる。作家の生活において後にいろいろな変化があったとしても、彼がすでに創作した作品の思想、芸術的価値は歴史に残るものである」

 このように「親日反動作家」であっても、作品本位に評価されるべきだとし、李光洙の「開拓者」や崔南善の新しい形式の詩をひらいた作品などの肯定面に触れながら、申采浩、韓竜雲、金億、金素月、鄭芝溶、沈熏、李孝石、方定煥、羅雲奎らの名をあげ、文学芸術史上に公正に評価されねばならないとした。

 こうした中で、1987年から朝鮮で「現代朝鮮文学選集」(100巻予定。ちなみに1957〜61年に16巻ものが出た)が刊行されはじめた(現在なお刊行中)。その中に収められている、従来ブルジョア文学として排除されていた作家、もしくは注目すべき作家らを列挙すると次のようである。

 第6巻「啓蒙期詩歌集」崔南善「海から少年へ」(1990.11)、第8巻「開拓者」李光洙(1991.1)、第13巻「1920年代詩選(1)」申采浩、韓竜雲、朱耀翰、李光洙、金東煥、呉相淳、金東鳴、卞栄魯、李一、李章煕、白基万(1991.12)、第14巻「1920年代詩選(2)」金億、金明淳、洪思容、盧子泳(1992.5)、第15巻「1920年代詩選(3)」鄭芝溶、梁柱東、李殷相、沈熏、南宮壁、李秉岐、権九玄、辛夕汀、韓晶東、李浩(1992.12)、第16巻小説集「人力車夫」朱耀燮、田栄沢、桂鎔黙、金東仁、朴鐘和、廉想渉(1998.4)、第18巻「1920年代児童文学集(1)」方定煥、鄭芝溶、韓晶東、洪蘭波、張貞心(1993.7)、第20巻「1920年代児童文学集(2)」方定煥、白信愛、馬海松、田栄沢(1994.2)、第22巻「1920年代随筆集」権悳奎、盧子泳、方定煥、李光洙、沈熏、洪思容、白基万(2001.8)、第23巻小説集「露領近海」李孝石、李無影、方仁根(2000.3)

 朝鮮での解禁文学事情については、いちはやく早稲田大学大村益夫教授も「共和国文学選集の出版状況」と題して「ハンギル文学」(1990.6ソウル)誌に紹介した。大村教授はまた、論攷「90年代共和国プロ文学研究」(『文学評論』1997年夏号、ソウル)で、朝鮮において「90年代に入って、プロ文学について重要な本が3種類出た」と述べながら、@「近代現代文学史」(殷鐘燮、1991)A「朝鮮文学史」第9巻(1920年代後半〜1940年代前半、劉万、1995)B「朝鮮プロレタリア文学運動研究」(金学烈、1996)をあげ、従来の域を越えたこれら3種の叙述に対する分析を展開している。(金学烈)

[朝鮮新報 2004.3.17]