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高麗人参余話(34)−連作障害〈下〉

 人蔘は一般植物とは違い連作ができないため人蔘の収穫は「一代1回」とか「50年に1回」とか言われてきた。

 人蔘を一次栽培した畑では10年以上他の作物を栽培した後でも人蔘の再作が可能であるが、畑の環境によっては15年以上の輪作にしても人蔘の安全な再作が難しい場合もある。ウリナラの開城地方とか日本の島根県地方では10〜15年の輪作であれば再作が可能だが、日本の長野県の強い粘質土では30年以上過ぎても再作が難しいという。人蔘の再作可能年限の長短は人蔘圃の土壌環境と密接な関係があり、病原菌の繁殖に適当な土壌環境であるほどより長い期間の輪作を要する。

 このように毎年同じ土地に同じ作物を作ると出来が悪くなる事を「忌地」という。この問題は人蔘栽培上のもっとも大きな難題である。

 人蔘栽培者たちは「忌地」の対策として病原菌に汚染されていない新しい作付け地を求めてジプシーのように他の地方に初作地を求めて移って行った。新しい畑を求めての移動が「忌地」対策としてはもっとも有効であるが、狭い国土の朝鮮や日本では行くところがないのである。忠南・錦山地方の初作地は皆無であり、人蔘栽培は忠北の옥천(オクチョン)、영동(ヨンドン)、忠南の論山および全北の무주(ムジュ)、완주(ワンジュ)などの地へ、扶餘地方では예산(イェサン)、당진(タンジン)、서산(ソサン)の方に、そして、江華と金浦地方では포천(ポチョン)、영천(ヨンチョン)、양주(ヤンジュ)および江原道地方に拡散して行き、現在は全国的に人蔘栽培が拡大され慶尚南道と全羅南道地方でも人蔘が栽培されている。(洪南基、神奈川大学理学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2004.3.19]