朝鮮文学評価の変化〈下〉 |
南朝鮮でも文学出版界において「大いなる解禁」がなされた。ソウル大学権寧a教授(前学長)が、北で1985年頃から文学出版で「開かれた策」が実行されているのに反して、南でいまだ「開かれた策」がなされてないのは遅きに失すると、自ら当局と交渉した末、やっと1986年頃から朝鮮作家文学が解禁されはじめたという。 なかでも李箕永ほか50人を収めた「越北作家代表文学」(韓国図書出版中央会、1991)全24巻をはじめ「韓国解禁文学全集」(三星出版社、1989)全16巻、「飢民近代小説選」(飢民社、1987)全10巻、「スルギ小説選」(スルギ、1987)全20巻、「スルギ詩選」(スルギ、1987)全5巻、「北に行った作家選集」(乙酉文化社、1988)全10巻などが続出した。南北をふくめた文学史、文学事典、そして「李燦詩全集」(ソミョン出版、2003)など、個別作家の作品集、評論集があいついで出版された。 ただし、南北ともに主に解放前の作品が紹介されている段階で、まだ解放後作品は部分的には出たが、全面解禁までには至っていない。南北の代表的な文学作品を網羅した全100巻の「統一文学全集」刊行の案があったが、これもいまだ実現を見ない現状ではある。 ここでは、筆者の手元にある文学史関係著作を紹介しておこう。 「南北韓文学史年表」(ハンギル社、1990)、「北韓文学史(抗日革命文学から主体文学まで)」(辛炯基ほか、平民社、2000)、「南北韓現代文学史」(崔東鎬、ナナム出版、2000)、「北韓文学史論」(金充植、ゼミ、1996)、「韓国現代文学史」(権寧a、民音社、1993)、「韓国現代文学史(1、2)」(権寧a、民音社、2002)、「北韓の文学」(権寧a編、乙酉文化社、1989)、「分断時代の文学」(任軒永、太学社、1992)、「分断構造と北韓文学」(金在湧、ソミョン出版、2000)、「北韓文学の現状」(朴泰山、深い泉、1999)、「北韓文学の理念と実体」(李明宰、国学資料院、1998)、「北韓小説の理解」(辛炯基、開かれた道、1996)、「北韓の詩歌研究」(金大幸、文学批評社、1990)、「北韓の批評文学40年」(成耆兆、シンウォン文化社、1990)、「韓国現代文学特殊素材研究(パルチザン文学特講)」(張伯逸、探求社、2001)、「北韓文学『文学新聞』記事目録(1956〜93、リアリズム批評史資料集)」(金成洙編、翰林大学校アジア文化研究所、1994)、「北の文学と芸術家」(李基奉、思想社会研究所、1986)、「北韓文学の理解」(李在仁、開かれた道、1995) 金在湧教授はといえば、最近早大での講演で、朝鮮文学は「世界でもっとも尖鋭な反米反帝文学」と述べた。彼はいま精力的に朝鮮文学作品を読破していっている若い研究者である。 以上、南北の文学出版界における変化について大まかに紹介したが、次に言及したい第2の変化は文学史叙述方式における深化についてである。 従来は、文学史叙述の内容といえば、時代背景、文学活動(文学団体の出没や創作の方向性を論じた文学評論など)、そして作品成果の特徴と意義などで終わり、創作方法論にはほとんど触れなかった。 すでに1938年『詩学叙説』で、詩人ヴァレリイが文学史叙述において創作論が欠如していることに異議を唱えた。 「作品そのものを生む、知的活動力の形態が殆ど研究されておらず、たとえ研究されていても、常に付随的で十分に正確ではない…『文学史』の深められた研究は、それゆえ作者の歴史、並びに作者や作品に残った出来事の歴史としてではなく、『文学』を生産もしくは消費するものとしての精神の歴史として理解せられるべきであろう」 このヴァレリイの言のように、詩創作的特徴、詩語的特徴の分析、すなわち創作論的研究が詩史において、とくに重要なわけであるが、上述の権寧a「韓国現代文学史(1、2)」(2002)において、これがなされている。むろん小説史叙述においても。とりわけ1930〜45年詩史叙述の「詩精神と言語の発見」は、いわばヴァレリイ流の見地からも圧巻である。詳論はひかえるが、これが新しい文学史研究の方向であろうと思われる。 最後に、この日本における日本人文学研究者の近、現代朝鮮文学著述について付け加えておきたい。 昨年、東京外大を定年退職された三枝寿勝教授の「韓国文学研究」(ベクトルブックス、2000)と、今年、早大を定年退職される大村益夫教授の「尹東柱と韓国文学」(ソミョン出版、2001)「朝鮮近代文学と日本」(緑蔭書房、2003)が出た。これは、日本人学者によるはじめての本格的な近、現代朝鮮文学研究書として注目される。これは、日本における朝鮮文学研究の画期的な「変化」だというべきだろう。(金学烈、朝鮮大学校講師) [朝鮮新報 2004.3.24] |