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〈朝鮮歴史民俗の旅〉 花(3)

 国ごとに親しみのある花がある。英国人はバラ、中国人は牡丹である。日本人はといえばもちろん桜だろう。

 親しみを感じるにはそれなりの理由がある。英国人がバラなのは、英国王室のシンボルであったことにもよるが、庭を飾るのに適しているからという。中国が牡丹であるのは、花の王と呼ばれるこの花が文明の中心である中国にふさわしいもの、つまり、中華思想の象徴的な花であったからである。

 日本の桜について言えば、古代においてはコメとともに大事な生産力を象徴していたらしい。平安末期の頃から、仏教と結びついて散る姿に死や無常のイメージが重なり、明治になってからは急激な近代化と伝統の継続性を重ねるために、菊や桐は天皇を、旭日は国家を現し、それとの対応で臣民(国民)の表象として桜とつぼみが当てられた。そして、農家の若者を徴兵した軍隊では、帝国海軍の記章は錨と桜、陸軍は星と桜を組み合わせ、「散る桜」は戦死を意味するようになり、靖国神社に桜が植えられたという。

 朝鮮民族が親しみを感じる花はもちろん無窮花である。朝鮮半島と北東アジアを原産地とするアオイ科の落葉潅木。槿花とも書くが、これは中国式の呼び方。朝鮮では昔から無窮花と書いてムグンファと呼んだ。朝鮮民族にとって無窮花は古来よりなじみ深い花であった。

 中国最古の地理書である「山海経」に次の記録が見られる。

 「君子国に薫華草あり。朝に開き暮れに落ちる」

 君子国とは紀元前の古朝鮮、薫華草は無窮花のことである。中国人は朝鮮半島を「槿域」「槿花郷」とも呼んでいた。無窮花の多い地域、無窮花が美しい郷の意味であろう。無窮花の国であることは朝鮮人自身も認めていた。新羅は唐に送った国書に「槿花国」を国名に替えて使っていたと「旧唐書」は書いている。

 朝鮮王朝時代になって無窮花は「君臣有義」の象徴になった。科挙合格者に対して国王が御賜花を授けていたことについてはすでに述べたが、その御賜花が無窮花であった。また、国王参席の宴会では、臣下たちが部屋の四隅に無窮花を生けて、これを進餐花と呼んでいた。まさに君と臣をつなぐ信義のしるしであった。

 時代は下って朝鮮末期と日本の植民地統治時代。民族存亡の岐路にあったこの時代に、無窮花は様相を転じて自主独立と愛国の旗印となった。多くの詩人・論客が無窮花を称えている。

 「檀君が神市に国を建てたその時に
 この民のあかしとして無窮花の花を下さった
 咲いては散り散っては咲いて五千年
 この花の年輪に限りあろうか
 無窮花は明日の朝鮮、未来の花
 美しいその姿に栄光が輝く」

 義兵闘争における最大の戦闘であった青山里戦闘で名を馳せた将軍、金佐鎮は、「三千里無窮花の国から、極悪非道な日本人を追い散らすのが、この国の軍人の双肩に架せられた栄光であり責務である」と義兵たちを奮い立たせた。

 無窮花を愛したのは独立の志士や軍人たちばかりでない。婦女子たちは刺繍に無窮花を施して八道江山を描き、それを愛国の印として身に着けていた。無窮花を施した立派な刺繍画が平壌の革命博物館に所蔵されている。製作者は女性革命闘士の金正淑女史。題して「無窮花三千里」。1937年、中国長白県の密営地。山並みを一つ超えれば祖国の地。解放された祖国を想い描いての製作であった。

 作品は朝鮮地図に似せて描かれている。東海の海岸線に沿って無窮花の幹と枝が力強く延び、13個のピンクの花が鮮やかな緑の葉をバックに彩られている。13個の花は朝鮮13道を現したもので、全体として解放された麗しき山河の雰囲気を醸し出している。

 日本の植民地統治時代、「無窮花づくり運動」が各地で繰り広げられた。この運動を提唱したのは啓蒙家・南宮憶。彼は、田舎から何十万株もの無窮花の苗木を地方の学校、教会、家庭などに配った。朝鮮総督府の官吏や憲兵隊は、それが朝鮮独立の不穏な動きであると察知して、南宮憶を逮捕監禁する一方で、全土に無窮花の植樹禁止と伐採を命じ、その代りとして桜の植樹と普及を強制した。しかし、日本のいかなる強権を持ってしても、無窮花が朝鮮人の心から離れることはなかった。

 なぜ、この民族に無窮花なのか。それは無窮花にこの民族の生き様が投影されているからである。無窮花は早朝に花を開く。開いた花は午後になってしぼみ始め、日没とともに落ちる。しかし、来る日も来る日も咲いては散るが、初夏から秋まで百数日の間、途切れることなく咲き誇るのである。ひとひらひとひらの花びらは一日にして栄華を成して消えていくが、全体としては尽きることないその習性に、五千年の悠久の歴史が重なるのである。

 無窮花の散り際の見事さもこの民族の生き様である。枝にへばりつくことも、褪色の見苦しさもない。潔癖を表す純白の地肌の中心に染められた真紅の輝き。その一片丹心の熱い思いを秘めて、時来たれば新たなる花のためにと、いさぎよく去るのが無窮花の心である。

 話の終わりにひとこと付け加えておきたい。日本の支配下にあった時代に、無窮花は「短命虚勢」の花である、という説が日本の学者たちの中から出された。短命とは花の命が短いこと、虚勢はうわべばかりで中身がないこと、つまり空威張りのことである。明らかなに無窮花の「格下げ」を狙った発言であった。(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2004.3.27]