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〈朝鮮歴史民俗の旅〉 白衣(2)

 白衣民族という言葉が、朝鮮民族の別称として定着したのはそれほど古い時代のことではない。日本植民地統治時代、多くの朝鮮人は以前にも増して白衣を身につけた。民族主義者や愛国の志士たちはもちろん、一部の親日派の金持や詰襟、黒色制服の学生を除けば、ほとんど白一色の服装であった。

 日本の官憲は朝鮮人の白衣が無言の抵抗であることに気づいていた。そして、ついに白衣抹殺に乗り出した。彼らは人ごみの市中に染料を入れた大鍋を置き、白衣の通行人に柄杓で真っ黒の染料を振り掛けた。しかし1人2人ならいざしらず、とても手に負えるものではない。当時歌われた「南道アリラン」に次のような歌詞がある。

 「餅を売ろうと市場に出かけ/染料に塗らされ黒一色/服はみじめに汚れはしたが/心の白さに変わりなし/アリランアリランアラリヨ/アリラン峠を越えて行く」

 なぜ、朝鮮人に白衣なのかという疑問は以前からあり、その見解も各方面からなされてきた。

 日本の多くの研究者は、白衣の根拠に朝鮮人の貧しさと染色技術の未発達を理由にあげているが、これは根拠に乏しい。中世の時代に貧しさは朝鮮人に限られたことではないからだ。中国でも日本でも、人々は飢えや寒さに苦しみ農民一揆が絶えることはなかった。だからといって、中国人や日本人が白衣を身につけたわけではない。

 染色技術の未発達も的外れ。なぜかと言えば、朝鮮は古来より染色先進国であったからだ。高句麗の古墳壁画を彩っている無数の絵画は、植物性染料に鉱物性顔料を混ぜて施されているものだが、色の数の多さはもちろんのこと、千数百年たっても色褪せない高い技術を誇っている。また、新羅以後は中国の官服制度を真似て、この国の王族や貴族、両班、士大夫たちは華やかな色柄の服を着ていた。その面影が今日も同胞の結婚式の衣装に見られる。新郎は堂上官の、新婦は高級女官の官服で、そのきらびやかさはまばゆいばかりだ。

 日本の染色技術について言えば、そのもとは朝鮮半島からのもので、例えば万葉集に、「鏡形、雲の形を織りたる高麗錦」の一句が見られる。高麗錦とはもちろん高句麗産の高級服地である。また、「延喜式」にも高麗錦が天皇の御座に用いられていたことが書かれている。大和朝廷においてこれら服地や染物はもっぱら服部によって調達されたが、服部こそ朝鮮系渡来人の技術集団であった。

 上述の2つの他に、日本の著名な美術評論家柳宗悦の説がある。彼は、朝鮮人は花を愛でる心の乏しい民族と評し、朝鮮人の白色好みについても、「色を楽しむ心の余裕を失ったから」であると論じている。

 この説が正しいとすれば、朝鮮人は一貫して「心の乏しい余裕を失った」民族ということになる。そうであるなら、世界にさん然と輝く朝鮮文化の華は、誰の心と知恵の結晶であったというのか。偏見がもたらした誤った見解である。

 それでは、白衣を好むこの民族の嗜好をどこに求めるべきか。これについて、朝鮮の高名な歴史学者・崔南善氏は次のように述べている。

 「およそ白衣が神聖色であり宗教的価値観を現す色であることは世界共通の認識である。古代の祭祀服や僧道服などはいずれも白であった。とりわけ朝鮮のように、祖先観的太陽崇拝信仰が文化の核心になっている所においては、太陽の輝きを象徴する白色は、ほとんど絶対的神聖さを現す色彩となるのである。したがって朝鮮民族の衣尚白の風習は宗教的権威によって説明されるべきである」

 崔南善氏のこの太陽信仰説は、最も説得力ある論拠として朝鮮人に受け入れられている。朝鮮民族は始祖王・檀君の子孫であり天孫降臨の民族であった。白は輝きであり輝くは太陽である。太陽崇拝の民族は、古代エジプトにせよバビロンにせよ白色を神聖視し、あえてそれを好んで身に着けていた。古代の朝鮮民族もそうであった。そもそも朝鮮語の白を表す「フィダ」の「フィ」はまさに太陽を指す「ヘ」を語源とする言葉なのである。

 長い歴史の中で、朝鮮民族は仏教や儒教のような外来の文化を受容しながらも、檀君の子孫であることの尊厳と誇りを持ち続けた。白色はこの民族の原色であり、時間と空間を超越して継承された民族共有のシンボルカラーであった。

 白色は出産と瑞気の象徴であった。朝鮮の建国神話は、高句麗の朱蒙神話であれ、新羅の朴赫居世・金閼智神話であれ、その誕生はほとんど白色の瑞気とかかわっている。白馬が現れ白色の瑞気が立ち込める所に神々は生まれるのである。

 朝鮮には白頭山、太白山、小白山など白のつく名山が多い。河の中にも白馬江、白村江がある。名山、名江に神々が降りると信じられたからである。ちなみに檀君が最後に身を隠したのは白岳山であった。

 白色は神聖であることから、清廉、潔白、忠節の心に通じるものと、朝鮮人は考えていた。そのため、儒者たちは仙人が着る白い道服を身につけ、漢詩や時調では白い梅花、白鷺を好んで詠んだ。白馬にまたがった白装束の将軍は新羅の名将・金庾信の雄姿であり、白衣従軍の姿は朝鮮王朝の海将・李舜臣の名をとどろかせた忠臣、英雄の容貌であった。(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2004.4.10]