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くらしの周辺−コリアン文化

 「宅急便でーす」

 家に届いたダンボール箱の中にはビデオテープがどっさり。ラベルには「韓国ドラマ1〜20話」と書かれている。アボジがプロ野球中継を見終わると、オモニと妹はハンカチを片手に2、3時間はテレビの前から離れない。日本のドラマにあそこまではまることもないのに、なぜそこまで夢中になるの?

 いまだ1世の同胞で「韓国ドラマ」にはまっている人を見たことがないところを見ると、どうやらこれは日本で生まれ、資本主義的文化の中で育った者にこそ浸透するものではないかと思われる。これまで日本のドラマにしか触れることのなかった在日が、ウリマルのドラマに魅せられるのはある意味プラスといえることかも知れない。朝鮮の映画やドラマにも、すばらしいものはたくさんあるが、欧米のラブロマンスや激しいアクションに慣れた人たちが、娯楽気分で気軽に見られるものはあまりない。音楽も同じで、K-POPを聞く同胞もかなりいる。私は気軽に見て、聴くことができるドラマ、音楽が今後どんどん創作されるよう願っている。

 学生の頃よく「君たちは何不自由ない時代に生まれ育った」と言われたものだ。しかし本当は、「何不自由なく育った」のではなく、探せば「不自由さ」はいくらでもある。それは、文化生活面において、日本や欧米のそれに頼らざるをえない「不自由さ」に表れている。生活のため、生きていくために、知恵と力と情熱を費やしてきた時代から、セセデたちの無限の可能性を在日同胞の新たな文化創造へとふくらませていく時代が来た。
(朴英二、朝青職員)

[朝鮮新報 2004.4.12]