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〈朝鮮歴史民俗の旅〉 タバコ(1)

 19世紀の文人・趙在三は著書「松南雑識」で次のような民話を紹介している。

 「日本に淡珀姑という妓生(芸者)がいた。なかなかの美貌の持ち主で、そのうえ素直で心やさしく、多くの男どもの心を捉えていた。その妓生がある日病に臥した。皮膚はただれ腫れ物が全身に噴き出し、ついには帰らぬ身となってしまった。臨終を前に淡珀姑は、『私の墓前に生える草をつみ取って煎じれば、このような病はなくなりましょう』と一言残して果てた。村人が遺言どおりその生き草を煎じて腫れ物につけたところ、これは不思議、みるみる見るうちに癒えてなくなった」

 この話にはいくつかの事実が示されている。

 一つは、タバコは日本から朝鮮に入ったということ。タバコの原産地は中南米である。コロンブスが西インド諸島から持ち帰り、それが世界各地に広まる中で、日本から朝鮮に持ち込まれた。伝来の経緯については、朝鮮通信使説や釜山の倭館説などいくつかあるが、時期については17世紀初頭が定説である。ちなみに淡珀姑とは朝鮮語の「タムベ」、つまりタバコの語源である。

 2つ目は、タバコが薬草として使われていたということ。当時すでに、タバコに止血と消炎効果があることが一般に知られており、鼻炎などの場合、葉を刻んで丸めて詰めておくという使い方もあった。一方、タバコの毒性も知られ、農家では水に浸しエキスで家具を拭いたり、畑にまく殺虫剤としても活用されていたようだ。

 ところで、なぜタバコの話に妓生が登場するのか。それはニコチンの作用による特異な刺激臭と麻痺性にあるようだ。当時、タバコを最も愛用したのは両班であった。彼らにとってタバコの刺激と麻痺されるような感覚は、妓生に身も心も奪われるような心地よさであった。両班の社会ではタバコを「相思草」とも呼んでいた。タバコの中毒性を表した言葉だ。忘れがたく離れがたい、妖女のように縁が切れなかったようだ。

 コロンブスがヨーロッパに持ち帰って半世紀の間に、タバコは地球を一周して世界各地で栽培された。

 日本に入ったのは天正年間(1573〜91)。数年後の慶長年間には全国に普及し、女子や子どもまでタバコをふかしていたと言われる。喫煙の大流行にともない、武家はもちろん、町人たちもキセル、タバコ入れ、タバコ盆などの容器に金をかけ、当時はかなり高価であったタバコを惜し気もなく消費し、そのうえに、喫煙の火の不始末で大火にみまわれ、江戸幕府はしばしば喫煙禁止令を発せざるをえなくなっていた。

 実情は朝鮮も同じようなものであった。済州島に漂着し、13年間、朝鮮各地に滞在したオランダの宣教師ハメルは、その著書「朝鮮漂流記」の中で次のように書いている。

 「この国では、子どもも4、5歳になればタバコを吸う。親は子どもに喫煙の方法を教え、いやがる者にも無理やり押し付け、拒めば叱りつけることもしばしばある」

 タバコは両班の社会でもてはやされた。彼らはタバコをふかしながら思索し文書をつづり、夜を徹して議論を交わしていた。

 朝鮮最初のヘビースモーカーは18世紀の書家・許必である。寝ている時以外はつねにキセルを加えていたとされる。自ら號して「煙客」「草禅」と名乗っただけでなく、タバコに「煙茶」「煙酒」という別名を与えた。お茶や酒のようにタバコを愛したというわけだ。

 両班の家庭ではタバコは酒とともに接客に用いられた。宴会の風景も変わった。それまでは、楼閣に酒席を設け、妓生に酒を注がせ歌舞を楽しみ、詩作に興じていたが、タバコが加わることで男女相悦の享楽の場に趣を変えた。両班、妓生が入り混じってタバコをふかす光景が、当時描かれた風俗画に見られる。両班、妓生、酒、タバコの組み合わせは腐敗堕落しつつあった両班社会の象徴的な光景であったためか、絵師たちの格好の題材になったのである。

 朝鮮人には、タバコは嗜好品である以上に良薬だとの思い込みがあった。

 なぜなら、当時は、洋の東西を問わずタバコ有用説が蔓延し、ヨーロッパにおいては、ローマ法王庁の使節までもが良薬として愛用していたからだ。隣の中国では、タバコを漢方薬に取り込み、腫れ物、カゼ、皮膚病、ことにマラリアの薬として珍重されていた。

 朝鮮では、英祖時代の実学者・李翼がタバコ有益説をこう唱えていた。

 「痰がのどにからんだ時、よだれを多くたらす時、消化不良で胸苦しい時、胃が荒れて吐き気がする時などに、タバコの効能は認められる」

 彼は医者ではないが博学で知られた。世界のタバコ事情にも通じていたものと思われる。彼ほどの人物のお墨付きがあれば、良薬であること疑いなし。はたまた、カゼにも効き、成長を助け、子どものお腹の回虫除けに抜群の効果あり、という風聞が伝えられた。そうとあれば良薬は口に苦しで、無理を押しても呑ませたくなるのが人情である。

 親たちが4、5歳のわが子にタバコを強要していたのは、このようなまちがった有益説に惑わされてのことであった。(朴禮緒、朝鮮大学校文学歴史学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2004.4.17]