〈朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち〉 連載を終えて |
この連載の依頼を受けたとき、私は正直言ってとまどった。折りしもいろいろな悪条件が重なって、そんな余裕なんてなかった。それに、私はあれこれ1度にやってのけるのが大の苦手である。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、編集部の女性記者が、細長い目をぱちくりさせながら、ある日、私のところへ訪ねてきた。 私は彼女の熱意と、そして「私も助けてあげるから」という金学烈先生のお言葉に励まされ、連載を引き受けることにした。 それからと言うものは、資料集めに悪戦苦闘した。ハングルで書かれた人名、地名を漢字に置き換えることも然る事ながら、資料ごとに異なる生年月日や履歴の日付をどう処理するか、それに写真を探すことも苦心の1つであった。 しかし、回を重ねるにつれて、私は夢中になっていく自分に気がついた。姜敬愛から崔恩喜まで、紹介させていただいた12人(全部で18人)の女性たちの生涯、それはまさに小説にも勝るドラマであった。 長編小説「常緑樹」のモデル、崔容信の資料を読み終えた時、私は教育と啓蒙運動、富強な国をつくるため生涯を捧げた彼女の揺るぎない信念に胸を打たれ心を新たにした。またそんな彼女の情熱と決心に強く引かれ、最後まで待ちつづけた恋人・金学俊の誠実さにも感服した。そして大学時代、1度読んだことのあった小説「常緑樹」を図書館で借りて再び目を通した。彼女の生き様の神髄に迫ることができなかった作品に少なからずの不満を感じた。いや正確に言うと、日本の民族文化抹殺政策に対する憤りが込み上げてきた。 それから朝鮮のパイロット第1号、権基玉の生涯は、私を驚かせ興奮させた。奪われた祖国を取り戻すために空を飛ぶことを決心し、船に乗り中国へ脱出、男顔負けの忍耐と闘志でついに空軍将校になった彼女。これは「東洋における最初の快挙」と称賛され、彼女こそ新しい歴史を切り開いた女性である。 人は皆夢を見る。私も幼い頃いろいろな夢を見たものだ。しかしその夢を実現するのはたやすくない。 権基玉の生涯は、この一般的な常識を覆し、ややもすれば自己中心的になりがちな人の夢を祖国、民族といったスケールの大きな、とてもすばらしく誇らしい夢へと導いてくれた。そしてその実現は、ほかでもなく今を生きる自分自身に勝ち抜くことだということを教えてくれるものであった。 こんな誇らしい女性が、詩「奪われた野にも春はくるのか」で知られる詩人、李相和の兄嫁であったこともうれしい発見であった。 聞くところによると、彼女と同時代、日本で資格を得てパイロットになった女性、朴敬元の生涯を描いた映画を今、南で製作中とのこと。いつか権基玉の生涯も、ぜひ映画化して80年前の彼女との再会を多くの人に果たしてもらいたいものだ。 「過去の英雄を描くことによって未来の英雄を呼ぶ」。これは、歴史家で作家でもあった申采浩が、かつて「乙支文徳伝」を書く目的について述べた一節である。 連載を終えてこの一節がふと思い出された。歴史に名を残した過去の人たちを知ること、それは今を生きる自分を見つめなおし、新しい自分の未来を切り開く心の大事な糧となる。時代の荒波を乗り越えた、彼女たちの強い信念と勇気ある行動力に、私自身どんなに励まされたことか。 過去に生きた人たちを知ること、それは歴史をより深く知ることであり、未来を切り開くことにつながるものだということ。国を奪われ、封建的男性中心社会の弱者として、虐げられ抑圧され苦闘した女性たちがゆえに、もっと強く感じ取れたのかもしれない。 最後に愛読してくださった読者のみなさん、そしてこの連載を企画し、勉強の機会を与えてくれた編集部の方々に厚く感謝する。(呉香淑、朝鮮大学校文学歴史学部教授) [朝鮮新報 2004.4.19] |